仮面をかぶった回復
おはようございます。ベロです。
昨日は回復施設の話をさせてもらいましたが、これは反応薄かったようです。
でも、一つの回復への手段として、大事な選択ではあると思うので、検討材料の一つにしてもらえたらなと思います。
私は具体的な構成を考えて、このブログを書いてるわけではないので、話が前後したり、かぶったり、色々あると思いますが、ご容赦を。
できるだけわかりやすい依存症の事をこれからも書いていけたらと思っています。
さて、今日は回復の話です。天蓋孤独の方はごめんなさい。家族がいる方、とくに
妻がいる方の話かな。私の経験と、仲間の話がちょこっと。
回復を始めた時、どんな心境ですか?
私は、私の物語を見てくれた方はお判りでしょうが、一度離婚をしています。
もちろん離婚などをおすすめするつもりもありませんし、夫婦で乗り切れたらいいと思います。
私は、自助グループや病院に最初に繋がるきっかけが、前の妻と、子供が、実家に帰った事でした。
まあお決まりの借金を隠していたことがばれてしまい、愛想をつかされて、実家に荷物をまとめて帰ったのです。
私は怒りもありましたし、焦りもありました。そして、何とか帰ってきてほしい、ということと、なんとかこれからもギャンブルをしたい、という思いがいっぱいでした。
もう、初めの時点から、本心の、自分が変わりたい、という回復への道ではなく
誰かに回復の姿を見てもらいたい、そしてなんとか潜り抜けたい、という、仮面をかぶった回復を
目指していたのです。
それは相手に伝わったのかもしれません。
私がその時最後にお金を借りたのは、母でした。なので、元妻は、私の両親と、私の事をすごく恨んでいました。
私の両親には、絶対に貸さないでという約束もしていたのに、また貸した、しかも元妻には言わず、内緒で貸したというのが、すごく恨みになっていました。
それから、私の両親との関係は、完全に崩れました。
そして、表面上は、自助グループに行ったり、病院に行ったり、回復をしようとするふりでした。だってやめる気はなかったのですから。
ですが、スリップをして、あの地震が起きて、色々と心境は変わりました。そして元妻も、県主催の家族教室や、家族の自助グループにも足を運んでいました。
お互い、回復していく気はありました。家族を再生しようという気持ちはありました。離婚直前までは、家を購入しようかという話まで上がっていたのですから。
でも、やはり、細かい問題が起きるたびに、私はいつも何にも回復してない、変わってない、と罵られたり、私は寮住まいで、週末に帰省していたのですが、喧嘩や揉め事があると、帰省してこないでくれ、と言われ、私は私が払っていた自分名義のアパートの鍵さえももらったこともありません。
相手が不快な時は、完全に拒絶され、回復を目指していることも疑われ、何を考えているかわからないと常に言われていました。
本当にそうなのかもしれません。心の底から回復を目指してもいなかったし、回復を目指すというよりも、なんとかよりを戻そうということの方が優先だったからでしょう。
だから、離婚前に最後のスリップをしたとき、私の心が壊れて、よりを戻そうということを考えることをやめて、入院をしたとき、夫婦関係は、簡単に終わりました。
相手も、よくよく愛想が尽きたのでしょう。もう返済を一緒にしたくはないと。
もちろんすごく大事なことですが、子供がいるから当然でしょうが、元妻は常にお金に囚われていました。私は、お金を稼いでくる道具に過ぎなかったのです。恨みつらみを全部書いても仕方ないので書きませんが、真の回復、自分と向き合う回復を目指していないと、表面上回復を目指しても、ギャンブルをしていた頃よりましくらいにしかならないのだと思います。
それを経験している私は、いつも仲間に言います。
誰のためでもなく、自分のために回復しよう
この先の人生は自分で決めなきゃいけない。回復した先に、一緒にいるのが誰なのか、それは、本気で自分を変えていかないと見えてこない。
この時の私には、真の回復が何かなんて考えてもなかったです。だって、スリップはしたけど、やめていく方法はわかっているし、入院して、ちょっと社会から離れて、心を休めよう。そしたらもうギャンブルはしないで生きていけるさ。と思っていました。
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