離れてみて
こんばんは、更新した通知ってどうやって届くのかな?
と思いながらも、久しぶりに更新しています。
こんばんは、ベムです。
とにかく豪雨で被災されてる方々にまずはお見舞い申し上げます。
そして、1日も早くまずは雨が落ち着くのをいのるばかりですね。
私は元々福岡の人で、九州は特に自助グループ的にもお世話になった方々が沢山住んでいる地域、姉や母も福岡なので、他人事ではありません。
仕事も私は建設関係してるので、できることなら災害復旧お手伝いしたいなあと気持ち的には思ってます。
こちらも土砂災害警戒地域なので、メインの仕事の方も今ちょっと止まってて、再開の目処がまだついてないので、心配なところです。
さて、1週間、何をやってたか。
良かったです🙂
丁度私は棚卸しをしなきゃ行けない時だったので、しっかり自分のことを振り返ることが出来ました。
前とはやはり違って、ものすごくは時間はかかりませんでしたが、結構捗ったので、何とか終わらせることが出来ました。
今までと何が違うのか?
SNS上のコミュニケーションが無くなったのは正直寂しいですよ、仲間や仲良くしてた人の状況とかも分からないしね。
だけど、私にとっては1番の、「人への囚われ」これが無くなったのは本当に大きなことです。
寂しさとかよりも、病的に人のことを見てたり、こだわってたり、コントロールしようとしてた人がもう目の前にいないので、人のことよりも、きちんと自分のことを見つめる、それは自分の行動だけでなく、自分を取り囲むいろんな状況に対しても、冷静に判断したりできるようになったことは本当に大きなことだと思います。
私は正直言って、Twitterしてた時は、そっちの世界の方へ関心が、例えば妻と食事に行っても、これはTwitterにアップする、とか、普通に話をしていても、Twitterでの俺のツイートがね、とかとにかくTwitterを中心に私の生活は回ってました。
早朝から挨拶回り、昼、夜とツイート、人のツイートにいいねしたりコメントしたり。
一日がTwitterと共に始まりTwitterと共に終わるという生活を1年半もしてきました。
だけど、それで起こる弊害に気づきもしませんでした。
それはゲーム依存やパチンコ依存と同じような感覚です。
まだ1週間だけなんだけど、離れてみて分かることもあります。
今は特にゲームをやめた時のような、囚われから開放された、スッキリした感覚です。
一気に人とのやり取りは減ったんだけど、必要なリアルな人との関わりは減ることはありませんでした。
なので、今はこの生活と、ステップをしっかり学び直すということに力を注ぎながら、リアルのOSMとかにそのうち参加したいなあと思いながらも、首都圏のコロナ感染者の多さにビビっていて、なかなか首都圏にはまだ行けないなあと思っているところです。
私が感染するのは自業自得としても、私が感染したことでまわりに与える影響が大きいことを考えると、まだ大手を振って行ける状態ではないのかなというのが本音。
往来は何とかできることをいのるばかりです。
今日はこんな感じかな🙂
またお暇があったら覗いてくださいな😃✨