行動の仕方
おはようございます、ベロです。
昨日は時間の使い方を少し話しました。
今日は、行動についてです。
ギャンブルをやめ始めの時は、そこをついているかどうかは別として、やはり、罪悪感や、自己嫌悪、自己憐憫などに陥ります。
そこで、ギャンブルをやめようとか思うのですが、誰のため?
よく通い始めの仲間達は、迷惑をかけた家族のために!と言います。
考え方は全然いいと思うし、我々も大事な家族と平穏な日々を幸せに過ごすというのはかなり大きな目的のひとつでもあるので、素晴らしいとは思います。
でも、誰かのために、継続は出来ますか?
私は出来ないと思うし、出来ません。
自分のためにやるから続きます。それはなかなか難しいことなのですが、仲間と一緒にいると、だんだん分かってきます。
何が分かるかって、家族のためにやめるという仲間は、いなくなることが多い。理由は様々だと思いますが、家族のせいにしたり、家族がもう行かなくていいのでは?ということを聞いたことが何回もあります。
家族に押さえつけられて、生きづらそう。
これは家族のためにやめているから、だけではなく、そもそもの罪悪感から、家族の言いなりになっているからかも分かりませんが、回復というか、やめ続けているのに、楽しくなさそう。生きている意味を何か見いだせてない感じ。
たぶんそれは、自分の意見は通らず、ギャンブルをすると離婚するとか言われたり、精神的に家族から、沢山のストレスを受けている場合が多いです。電話で確認、GPSで確認とかされてる場合多いかな。
それを踏まえての行動。回復の初期は、もちろん自助グループに通いながら、なんとか生きていくし、家族の怒りや恨みも激しいだろうから、言うことを聞くのも仕方ないと思います。
だけど、回復を少しずつ感じてきたり、仲間と行動したり、変わってきているなら、やはりきちんと家族と話をして、自分の意思で回復を目指さないと、何も続きません。そして、当たり前の主張はするべきだと思います。
私の失敗からの助言です。家族の言うことを聞き、自分は迷惑かけたから、主張はしないというのは、人間として認められてないし、一生は続かないし、そのうち爆発するか、スリップします。
それと、自分の意思で自助グループに通うこと。これも連れてこられる、または家族が付き添うという仲間も結構いたりして。
家族が家族の自助グループに行くのは本当に素晴らしいし、そういった家族がいる仲間は、だいたい変わってきます。
だけど、家族の自助グループには行かず、当事者のグループに行き続ける家族は、何を考えてるのかなあといつも思います。
監視されながら回復なんてしますか?
まあ、家族のやり方は別として、自分が行きたくなるから、行く、とか回復したいから必要、と感じて通って欲しいと思うし、それが長続きする秘訣でもあると思います。
行動にはもう1つありますが、時間切れ😢😢また明日です。そのうちこれはnoteとかにまとめなきゃなあ🤣
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