子供の頃
昨日はなんだか夜に父や母のことと、子供の頃、小さな頃の事を思い出して、ちょっと切なくなっていたので、少し振り返ってみようかなあ。
こんにちは、ベロです。
私の親は普通の中流家庭、父親は多分アルコールに問題があり、いつもではありませんが、時々怒って母を叩いたりもして、嫌な記憶もまあまああります。
そして、休肝日を作れない人で、よっぽどインフルとか、次の日が検診とかいうことでない限りは毎日お酒を飲んでました。
でも毎日飲みすぎということはなく、毎日焼酎のお湯割り又はライム割りを2杯半、半分というのがよく分かりませんが、量的にはそれほど飲んでないのかもしれませんが、仕事が終わって帰ってきた後、全くのシラフでいる時間はほとんどなく、機嫌がどちらかと言うといいほうなのですが、いつもほろ酔いという感じでした。
真剣な頼み事、ほとんど何か買ってもらいたい、という時は、日曜の昼間か、平日なら父が家に帰ってきてすぐ話をしないといけない、という感じでした。
なので、私は父が帰ってくるのを基本的にはいつも待っていて、嬉しかった記憶があります。
母はいつも夕方からせっせと父の酒のツマミや私達のご飯を作ってくれてました。
今考えると、食費にはお金をかけてなかったような気がします。いつも激安のスーパー等に週末に家族で買い物に行って、1週間分の食材を買って、平日は買い物にも行かないという感じでした。
父は外でお酒を飲むのは忘年会くらいで、いつもほぼうちで、決まった時間から飲んでました。
一日の中心がやはりお酒を飲む時間から逆算して、何時になにを済ませておこう、という感じでした。
なので、惣菜とかは日曜とかは買ってたようなきはしますが、外食をあまりした覚えはありません、それはお金の余裕もそうかもですが、外で食事を取ると、電車で行かない限りは、父が車の運転をしなきゃなので、お酒を飲めなくなるから外食をしなかったのだと思います。
昼間にうどんとか食べに行ったことは結構ありますが、夜はほとんど記憶がありません。
私はアルコールは多くは飲めないので、そして晩酌をしない人なので、父のお酒の飲み方がどうだったのかは分かりませんが、量は多くなくても、毎日欠かさず飲んでるのは、依存症か、予備軍ではないかなあと思います。
休肝日は作れない、作るつもりは無い、という事でしたので。
後お酒が入ると時々人が変わることもあったので。
小さい頃から話は出来たか、と言うと、うーん、どうなんだろう🤔
怖かったと言えば怖かったですが、なんせいつもほろ酔いなので、話しかけ辛かったイメージはあります。
父からは時々色々話しかけられましたが、でもいつも大きなテレビが食卓の主役だったので、あんまり話せてないのかもです。
急になんで思い出したんだろうなあ、と思ったら、先週の講演会の時に、幼少期のはなしとかしてたからなんでしょうね。
依存症と成育歴は関係無いと言う人も居ればACは関係あるとか、色々意見もありますが、
少なくとも私は両親には大事に育てて貰ったし、私が依存症になってしまったのは、親のせいとかは思ったことはありません。
ただ時々こうやって振り返る時があるのは、天国の父が初心に帰れと言ってるのかも知れませんね。
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