薬物のことも。
昨日は怒りをきちんと聞いてもらえたので割とスッキリしてます。
今日は東京でグッドプレス賞もあってるみたいで、依存症の啓発のため、また正しい理解のために、有難いですよね、微力ながら応援、そして、啓発もコツコツやって行かなきゃですね。
こんばんは、ベロです。
私は今まで、1度も触れてきたことはありませんでした。そして、今後も軽はずみなことは言うつもりもありませんが、色んな依存症ということで、薬物のことも、少し考えてみました。
私は、シンナー、大麻、覚せい剤、というのに触れたことがありません。もちろん、仕事で使うために、シンナーを少し使ったとかはありますが、通常の用途以外で使ったことはありません。
中高時代は、進学校というのもあったのか、また、地元の友達とかも会うことも無く、いろんな面で、ただ触れる機会がありませんでした。
私の地元の中学は、札付きの悪(古っ🤣)が集まるところだったので、そういったものに触れることももしかしたらあったのかもですが、たまたまなかったです。
大学生時代はありました。大麻もそうだし、クスリをする人もいました。が、私は既にギャンブル依存症だったので、その人達と関わるまでもなく、ただサンドにお金を入れるそれこそマシーン化してたので、そこでも出会いはありませんでした。
社会に出てからは、たまたまそういうパチ友も出来ましたが、強制されることも無く、本当に私の人生の中に、なかったと言うだけです。
その代わりと言ってはおかしいですが、誰よりも多くのギャンブルの問題がありました。
むしろ有りすぎて、他に逃げたい、と言うより、いつもギャンブルがしたくてイライラしてたのと、いつも借金があったので、お金の工面とにほぼ全勢力を注いでいたので、関わりがなかっただけですね。
今誘われたら、たまたまタバコもやめてるので、もちろんNOとは言えますが、若い頃なら、1度なら、とか、時々ならとか普通に思っていたかもしれません。
そして、違法薬物だけでなく、処方箋薬物の依存についてもそうです。
私は、ギャンブル依存症で病院に入院した時に、診断として、鬱症状の疑いあり、と書かれ、睡眠導入剤を飲んだことがあると言うくらいで、今でもあまり薬は、処方箋のものであってもあまり飲まないので、 処方箋での弊害もありませんでした。
なので、薬の服用が多くなったり、止められなくなったりということもないので、そこもなんとも言えません。
ですが、何度も言いますけど、たまたま私は出会わなかっただけですね。
この依存症は、物質とプロセス依存に別れますが、私の場合は、体に入れる物質に関しては、弱かったり、出会わなかったりしただけなんですよね。
依存症の根っこは一緒なので、どの依存に選ばれるかは、それこそ運なのかもしれません。
極端な自我の暴走が何に出たか、だけだと思うのです。
ギャンブルに出たから良かった、とかいう話では全くありません。
どんな依存であっても、抜けにくくても、逃げにくくても、自分がやめたい、そして、その嗜癖に対しての無力があって、1人では止められんな、と思い、誰かを頼りに、という気持ちがあれば、回復は可能、ということを言いたいです。
回復って簡単じゃないし、一日をその嗜癖をやらないことは、簡単でもありませんし、最初の頃は、一日が長く感じ、1時間でも長くて、イライラして、そんな感覚は、嗜癖の違いや、人によって程度は違うとは思うけど、回復への道のりは、同じような気がするんですよね。
自分が選ぶしかなかった嗜癖から、離れるために、自分に真剣に向き合うこと、途中の過程は成功への道のりなので、失敗が仮に続いたとしても、諦めなければ、自分自身ではあまり気にする事はないと思います。周りはまたかぁ、もうダメかなと思われるかも知れませんが、当事者が諦めなければ何も恐れることはありません。
私は自分の回復を諦めそうになったことは何回かありますが、諦めたことはないので、今ここにいます。
自分だけは自分の回復を信じたい🤚