ギャンブル依存症 ベムの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

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アルコールは?

昨日は薬物に関することを触りだけ書きました。その中でも、全ての皆さんが理解してくれるわけではなく、誤解も、一般の方からは偏見もたくさんあると思うので、私のブログから、1人でも、あー、とかなるほど、とか思って貰えたら嬉しいなあなんて思ったりしてます。

 

おはようございます、ベロです!

 

昨日は、本当はあのポスターを見なければ、こちらのことを書こうと思ってました。

 

他の依存についてです。

 

予防教育アドバイザーを受けることによって、たくさんの新しい学びと、嗜癖についても考えさせられた部分があります。

なので、せっかくなので私の振り返りとか、考えを書いていこうと思います。

 

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今日は、私はギャンブル依存症ですが、アルコールはどうなんだろう。という所です。

 

先日パッチテストをして、私はやはり基本的には飲めない人という判断が出ました。

 

父はアルコール依存でしたが、死ぬまでそこは認めず、死の何日か前まで毎日晩酌を、必ず、欠かさず、自分が決めた定量以上は飲んでました。

私たち家族が時々帰省すると、いつもより沢山飲んで具合が悪くなるか、大いびきをかいて寝るか、でした。嬉しいのはわかりますが、80を超えてもそんなに飲むのか?

と言うくらい飲んでました。

 

私は父には似ず、母に似たようです。

この原始人体型だけではなく🤣

アルコールに関しても一緒です。

 

母は全くお酒は受け入れず、過去にビールを一口飲んで、カユイカユイと言って、全身真っ赤になり、蕁麻疹もできて、どうにもならなくなったという経験を何回かしてるので、ほぼ100%飲みません。飲めません。

 

私は高校の時、打ち上げとかでお付き合い、カッコつけで飲んだのが始まりですが、美味しいと思ったことは当時はありませんでした。

 

大学に行っても、顔が直ぐに真っ赤になるのが嫌で、ウイスキー飲んでるといいながら、薄めたウーロン茶を飲んでました🤣

 

そして、心臓がバクバクして、飲みすぎたら戻してしまうので、とにかく飲むのが嫌でした。

 

学生時代にギャンブル依存症になってしまっているので、車の運転が出来なくなるお酒は私の選択肢にはいりませんでした。

 

なので、社会人になってからも、飲み屋で飲む時(ギャンブルで大勝して、調子に乗ってる時)以外は、お酒を口にすることはありませんでした。

 

独身時代は、ギャンブルに勝てばよく飲み屋には行きましたが、飲み屋も結構お金がかかるので、ギャンブルの資金を減らしてまで行くことはしませんでした。

 

途中で半年くらい、ギャンブルがやってもやっても勝った時期があり、その時は毎日飲みに行き、飲み屋の常連になってました。

長くは続きませんでしたが。

 

結婚してからもほとんど毎日何かしら車の運転をすることが多かったので、お酒を飲もう。という考え方にはなりませんでした。

 

多分体質的に合わなかったことが1番よかったのと、お酒を飲んだら車に乗れない=ギャンブルに行けないという思考が1番で飲まなかったんでしょうね。

 

なので私は生涯で晩酌をしようという考えになったことがほとんどありません。

時々、誰かに飲もうか?と誘われて行くくらいです。

 

ずっと飲みまくった、という時期がないので、特にお酒が強くなることも無く、ギャンブル依存症と診断されて、回復を目指し出してからも、お酒は年3回の長期休暇の時に、一日だけ沢山飲むというのだけが習慣みたいになってます。

 

私にとっては、お酒とはそういうもので、嗜癖とはならなかっただけでした。

お酒が飲める体質なら、こちらが先だったかも知れません。

 

これから何回かは、自分と嗜癖について考えていこうと思っています。

 

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