家族を放置 ベロの物語⑲
任意整理をし、仕事はなんとかこなしながらも、ギャンブルは引き続き会社の上司に前借しながら、少しずつ続けていました。
そうこうしているうちに、次の転勤先で、所長になることを打診され、自分は社員になるときから、所長になり、ゆくゆくは部長になり、
そして社長になりたいという野望があったので、よろこんで引き受けました。
人生には転機がたくさんあり、そして自分が変わるチャンスがたくさんあるのに、それをチャンスと捉えず、変われない人もいます。
子供が産まれた時、転勤時、立場が変わった時、沢山変わる機会もあります。
実際私の友達もそういったきっかけでやめることができる人何人もいました。
この時も私は変われませんでした。
出世したとか、子供ができたとか、環境が変わったとか、任意整理をしたとか、いろんな出来事は、ギャンブル依存症の私には自分を
変える大きなきっかけにはなれなかったのです。
そして、勘違いと、悪い方向へ変わってしまっていったのです。
大きな会社ではない当時の私の会社では、現場所長が金銭管理、予算作成、上の会社への交渉など、一手に引き受けていました。
通常なら大変だし、もちろん私も現場を采配はしてきましたが、金銭管理はしたことがなかったので、覚えていくまではすごく大変でした。
慣れていくと、作業をしているわけでもなく、現場に付きっ切りでもなく、事務所にいる時間も長いので、どんどん自分がするべき仕事
も覚えていきます。すると、やましい考え、抜け道とかも覚えていくのです。
誰かに拘束されている訳ではないので、時間も好きに使えます、その時間を使ってまず始めたこと、やはりギャンブルでした。
昼の打ち合わせ以外はいくらでも時間空けられるので、仕事中にパチンコ屋へ行きました。
調子がいい時は、半日くらいパチンコを打っていました。
当然そのつけは金銭面で出てきます。
横領が始まります。
従業員の給料を水増ししたり、食堂の運営費を誤魔化して着服したり、架空請求を注文業者にさせたり、本当に、人間て、ここまで悪事をできるんだなと、今は振り返れますが、当時は自分のお金を作るために必死でした。
そしてあたかも自分がお金持ちになったような気分になり、接待したり、急にボーナスが入ったとか言って、家族とおいしいもの食べたり、
もちろんギャンブルも激しくなります。
近くに場外馬券場(ウインズ)もあったので、土曜には馬券も買いに行きました。
そんな好き勝手を2年くらいしていました、本当に周りの助けで、すごく業績はよかったので、私の悪事は全く問題視されることもありませんでした。
ですが、当然仕事中もギャンブルなどしているので、本業の仕事をする時間があまりなかったので、会社の寮に泊まると家族には言って、
パソコン業務や、書類作成など、深夜に行っていました。
あまりに仕事が溜まっていくので、パートの女性を雇い、ろくに仕事も教えず、仕事を押し付けたりもしました。
自分がいなくても仕事は勝手に進んでいくので、大事な業務以外は本当に人に任せ、自分はギャンブル場からメールで指示するという
状況を続け、3年くらいが経ちました。
そこの現場が終了するころに、自分のいた会社が倒産の危機に陥りますが、私はそこで別の会社に拾ってもらうことになりました。
所長としてではなく、通常の社員として。そこでとうとう観念しなければいけなくなるのです。
借金の整理も順調にし、子供の成長も見ることができ、立場としても社会的にも認められているのに、普通の幸せには目もくれず、ギャンブルをすることと、お金を作ること、誰かに振る舞うことなどで、家族を時間的にも、金銭的にも、完全に放置してしまうのです。
ブログ応援して下さい!クリックお願いします!