ギャンブル依存症 ベムの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

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振り返るとやはり

おはようございます。ベロです。

 

昨日は成育歴の半分、学生時代と、父の話でした。

 

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今日は母の話とその他、書いていきます。

 

昨日も出ましたが、私の母は、超が付くほどの共依存です。

 

私が中学生のころから私立校に行ったのでお金が必要だったのでしょう、毎日朝早くから起きて、父、兄、姉、私と母自身の弁当を作り、毎日働きに出ていました。

 

仕事も大変だったと思いますが、今本当に思うのですが、帰ってきてからの私達の世話もすごく大変だったと思います。

 

夕方帰ってきてすぐから、風呂を沸かし、夕食の支度をし、親父の酒のつまみを作り、親父が飲んでいる間、親父はソファとお尻がくっついているというくらい、帰ってきたら全く動かない人だったので、父のお酒が無くなれば、焼酎やウイスキーを準備し、ピーナッツがいると言えば出し、という感じで、まるで家政婦でした。いや家政婦でもあんなに動かないんじゃないかな、家政婦さん雇ったことないけど。

 

私たちが望む前に、全てのものを準備してくれます。ご飯はもちろんの事、お茶、果物、お菓子。高価なものはうちにはありませんでしたが、いつも何かしら準備してくれ、食べたいと言わなくてもある状態でした、そしてそれに慣れていた私は、大人になってからしか、この状態が当たり前ではないということを気づかなかったのです。

 

私は年の離れた兄がいて、小さい頃は、それこそ子分で、兄貴が大好きなので、くっついて回っていて、何かにつけ、あれをしろ、これを取ってきて、と言われたりしてたので、尻は昔から軽かったのですが、母の手伝いはほとんどしなかった、というより、母が座ってなさいと言って、私は何もしてなかったのだと思います。

 

それもまた私が幼いころから増長、勘違いをしてしまう一つの要因だったのかもしれません。

 

私は学生時代、その後もですが、たくさん愛されていたと思います。親父がいつも夕方決まった時間から酒を飲む習慣があったので、夜食事を食べに行くと言ことはありませんでしたが、日曜日も予定合えばみんなでスーパーに一週間分の食材を買いに行き、食べたいものを買い、仲良く過ごしていたと思います。

 

学祭や体育祭、部活の応援など、父も母も欠かしたことはありませんでした。

兄はラグビーで県大会の決勝まで行くほどの強豪でレギュラーでしたし、姉はバトン部で、全国的にも有名な祭りにも参加していて、私は小さいころから親に二人の応援に連れて行ってもらい、一緒に応援をしていました。

 

どこにでもないような、幸せな家庭に育ち、何故依存症になってしまったのかな。

 

私は大学を中退しました。もちろんギャンブルが原因で、単位が取れなくなったこと、借金がたくさんあり、どうにもならなくなったことによって、辞めざるを得なかったのですが、父も兄も、私が行った大学には二人ともどうしても行きたかったのですが、合格せず、断念して、親父は別の大学に、兄は二浪の後就職しました。

 

なのでその大学合格の際はものすごくみんなで祝福され、また兄は学費も一部負担してくれました。憧れの大学にせっかく行けたのに、中途退学をして、父も兄も無念だったと思います。

 

そして、一見幸せ家族に見えるのですが、一つ、すごく嫌で、不思議なことが、この家にはありました。特にみんな成人してからですが、この家は、隠し事がものすごく多い家だったのです。

 

兄や姉の話も、私が知らない話もたくさんありますし、私の依存症の話も、兄や姉には、私が言うまで、親は隠していました。私が借金があって、尻拭いしたことも話さず、兄が株で失敗して、お金を都合してもらったのも知らず、秘密だらけでした。

 

親は兄弟の失敗を話したくなかったのでしょうが、私達は知らないことに腹が立ち、いつも母を責めていました。母は、父が言うなと言えば絶対言わないので、あんたたちのためだよ、とか訳のわからないことを言って、知らんふりしてました。

 

これも私のギャンブル依存を増長させた一つの要因かもしれません。

頼まなくても黙っててくれる、という思いはいつもありました。今は父も無くなり、母も認知になって、今やっと本当の何でも話す兄弟になりましたが、それまではずっと隠し事が普通にある家庭でした。姉がいつも、私だけ知らないと、嫌がっていました。

 

原因探しはしても仕方ないのですが、ギャンブル依存症になり、回復を目指すのに、考えることはたくさんあります。

 

私が依存症になっていったのは、彼女が大学時代に突然この世からいなくなったことが原因ではなくきっかけ、そして、両親から解放され、上京して、自由を満喫しすぎたことから始まったのではないかと感じています。

 

たくさんの愛を受けながらもそれを感じることができなくなり、窮屈さを感じ、一人暮らしをするようになって、監視、管理から解放され、自由を手に入れて、好きなことをしていった結果なのかなと思います。

 

自由には必ず責任もある、ということに当時は気づきもしませんでした、そして失敗しても親が何とかしてくれるし、隠してくれるから大丈夫、反省してるふりでいいや。

責任のせのじもありませんでしたね。あの世の親父に時々謝っています。

 

書ききれなかった部分もありますが、結果、成育歴がギャンブルを増長させたとは思いませんが、たくさんの原因はあったなあと思います、そして依存症の発見が遅れたのは、家庭の環境は影響してるかなあとは思います。

 

でも自動ドアを通り、台の前に座り、サンドに1万円を紙きれのように入れたのは自分ですから。今は依存症になって、気づいたこと、変われたこと、物の見方、考え方が変われたこと、そのすべてが当たり前じゃなくて、全てに感謝できます、いつもではありませんけどね。

 

私のブログを見て、何か考えなおすきっかけがあるといいな^^

 

 

最近Twitterでも、他でもコメント頂く事多くなり、本当に感謝です。

 

これからもできるだけわかりやすい記事を書こうとは思っていますので、よろしくお願いします。

 

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