ギャンブル依存症 ベムの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

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退院、職場復帰

無事、内観を終えて、さあ、最終週です。ミーテ

ィングは週に4回ですが、プログラムは全て終わってるので、ミーティング以外は暇です。

入院は、皆さんが同じ日にちに入ってくる訳では無いので、出会いと別れは毎週のようにあります。
私が入院してる間にも、ギャンブラーだけで、4、5人交代で入れ替わりながら、もちろんアルコールその他の方が多数、入れ替わって行きます。
 
最後の週には、入院当初にお世話になってた人は誰もいなくなり、私がギャンブラーで1番古い人になり、教育係として、サポートして行きます。
 
最後は寝てばかりいたような気がします。ゲームを教えてくれた人ももう退院してたので、話をする人もあまり無く、最初の1週間は、新しい人たちは外出できないので、ミーティングに連れても行けないし、最後のミーティングは1人で向かいました。
 
3ヶ月の入院は、ゲームがなかったら、本当に良いものだったと自信があるのですが、やはりゲームを中心とした生活になってしまっていたので、そこが良くなかったし、復帰してからも、後で尾を引くことになるのでした。今思うと、せっかく入院したのに、勿体なかったと思います。これから入院される方は、暇との付き合い方をくれぐれも考えた方が良いかと思います😓
 
そして、無事3ヶ月の入院が終わり、復職するのです。3ヶ月いなかったので、元の職種という訳には行かなかったのですが、それでも、何とか私を立ち直らせようと、同僚達はサポートしてくれました。
問題のベテランさんも、なんか性格が丸くなって、というか所長にくれぐれも言われたのかもですが、私にはかなり優しく接してくれ、他の人にもあまり文句も言わないようになっていました。
 
そして、退院してから直ぐに、元妻と市役所で
会って、離婚届を出し、元妻の実家にいき、両親に謝り、その後、公正証書を書きましたが、またそれが私には受け入れがたく、その公正証書があるおかげで、また追い詰められて行きます。
 
慰謝料のために、今まで貯金した分を折半にしたもの、財産の半分を全額慰謝料として、渡しました。それはそこまで大きな額ではなかったのですが、私は文字通り、1からのスタート、沢山の借金はありますし、しかも傷病手当が終わるまでは、生活費を全て渡していました。
 
公正証書の内容は、私の収入から算出した計算で、毎月8万の養育費を払う、また子供に面会するのは、ひと月に1回、教会だけで、そして、息子の方が何か足りないことがあれば相談するという内容でした、普通に考えて、こんな内容はのめないのですが、私はいち早く離婚したいがために、その条件をのみました。
 
何故早く離婚したかったかと言うと、いつまでも、元妻の生活費を見るのが、どうしても納得出来なかったし、心の通わぬ生活を1日でも早く終わらせたかったのです。それでも結局、離婚してからも2ヶ月先位まで、生活費を払いました。
 
本当に最後の最後のまで、お金のことばかり、まあ当然かも知れません、主婦だったのが、生きていくために、また息子と生きていくために、自分で働き、生活しなければならないため、取れるものは取っておく、というのはごくごく当然かも知れません。
 
ただ、最後にこんなやり取りばかりだったので、心の未練は全く残りませんでした。
 
むしろ、今書いていて思うのですが、恨みが全く取れていないなあと、振り返ってもこれだけ怒りも出てくるのですから、相当なものです。
 
ただし、あくまでもギャンブラーは私で、彼女と息子は被害者です。その点だけ考えると、随分自分勝手だと思います。
 
ここから、私は自分で返済、生活、全てを急に自分の責任で、やって行かなくてはならなくなります。
 
自助グループにも復帰して、仲間とのふれあい、分かち合いがなかったら、1人で生きていくこともままならなかったと思います。
 
色んな意味で、自分をなるべく当てにせず、仲間や同僚、他の人を頼りにしたからこそ、何とか凌いで行くことが出来たように思います。
 
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