ロビーから
毎日だんだん感染者増えてきましたね!
既に東京95人以上て😓
日本も他の国と同じようになっちゃうんですかね?
そうじゃないと信じたいのですが、なんとも言えない状況ですね。
こんばんは、ベロです。
話は昨日の続き。
妻が立ち上げた最初の家族の自助グループは今では本当にその県にとって大事な自助グループとなり、今は結構沢山の仲間が繋がってるようで、妻のスポンシーさん達も何人か居ます。
すっかり根付いていて、彼女とその仲間が心許なく立ち上げたグループは、今仲間たちの力で花開いています。
その後の話です。
私と付き合ってましたが、私が隣の県に転勤するということで、元々結婚を前提に付き合っていて、早く借金を返して結婚しようという話にはなっていたのですが、私の大きなスリップがあったので、結婚はまだ出来ないままでしたが、転勤と一緒についてきてくれました。
彼女にとっては他県での暮らしというのは初めてだったようで、不安もあったでしょうし、何せ体調が良くなかったのと、私が元妻と揉めていたこともあり、転勤当初は私達は大変な状況でした。2人とも合わせてもお金もないし、唯一あったのはお米でした🤣🤣
このお米のおかげで3ヶ月ほど何とかしのげたのを覚えてます。妻が引越し祝いで沢山頂いたのです🙇♂️
私が転勤した場所は以前住んでいた場所とそこまで離れていなかったので、元々ホームにしていた場所をまたホームにしました。
最初の頃は私が1人で自助グループに行き、体調が良くなかった妻は、新生活になれるので精一杯でした。
暫くして、体調も少し良くなってきて、私も自助グループに行きたい、ということになり、私と妻と一緒に、当事者の自助グループに通うようになりました。
その県には家族の自助グループは既にありましたが、体調面でなかなか行けなかったのと、妻にとっては合わない会場だったようで、1度か2度くらいしか行ってないのではないかな🤔
2人で暫く通っていると、当事者の自助グループに家族の方が見えました。
またそこで運命の出会い。
その人は凄く辛そうで、聞いている当事者も悲しくなったり、感情移入してましたが、何度か通ううちに、妻が、やはり家族は家族同士話した方がいいんじゃないか?
ということを考えて、
「良かったら2人で話しませんか」
と妻がその家族の方に話して、私達がミーティングをしている会場のロビーで、2人で話していました。
私達は彼女たちにお茶と飲み物を渡して、2人で何回か分ちあいをしていました。
今思えば、それが2つ目の家族の自助グループの始まりでした。
その時、妻がグループを立ち上げたい!
どうしたらいいかな、と言われたので、パソコンで調べて、私が登録の手伝いはしました。
と言っても登録のための書類を作成の手伝いをしただけです。
チラシも今と違って、手書きの素敵なものを妻が自分で作り、それを配って、当事者の自助グループの人にもう一部屋借りてもらって会場をスタートしました。
元々他にも家族の自助グループはあったので、そちらからも仲間も参加しぼちぼちスタートしました。
と同時に妻はステップも頑張っていたので、時が経つにつれ、ステップも一通り終わり、スポンシーがひとり、また1人とどんどん増えて行ったのです。
グループも素敵なグループで、当事者の自助グループはどうしても暗いし、なかなか打ち解ける仲間も多くはないのですが、その家族の自助グループの仲間たちは涙も沢山流すけど、とにかく笑いも沢山ある、いつも賑やかなグループでした🤗
今もそうなんじゃないかな😁
とにかく回復してきてる家族は明るい🤗
私達も爪の垢を煎じて飲まなきゃ😁
やはり女性が中心になるので、和やかだったり、温かさがあったり、実は学ばせてもらうことばかりなんです。
オープンの家族の自助グループがあるなら、1度は行ってみる価値はあると思いますね。
罪悪感がスゴくでる人はおすすめしないけど、家族の辛さも聞く覚悟があり、なおかつ家族が回復するとこんなふうになるんだ、という素敵な仲間が沢山いらっしゃるので、私は時々ですが行ってました。
家族が理解してくれると、当事者の回復の割合はぐっと上がると思いますね。
そして明日はこの地域のこと。
妻は今回で何と3度目の自助グループの立ち上げとなるのです!
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