勝手な父の想い
昨日は全く何も考えず上げたツイートから、やはり養育費とか、お金のことは色んな人興味あるんだなあと思い、また、子供の純粋な思いを私が歪んで捉えたのかもと思ったので、私の心境を、ツイートで書ききれない部分を。
こんにちは、ベロです。
書いたのはこのツイート
今遠く離れた場所に居る
— ベロ 仲間と共に (@bero_izon) 2019年12月11日
息子から手紙が来た
今年は1度も会えず
今回が2回目の手紙
またプレゼントや
学費などの援助のお願い
寂しいなあ
パパはただの財布なのか
養育費は充分送ってるつもり
小六は子供なのか
少しは分かるのか
俺が小六の時どうだったかなあ
今年2回目に着いた手紙が、パパは引っ越しましたか?僕は頑張ってるよ、そしてクリスマスのプレゼントと、来年から中学生になるからお金がかかるから何か買って欲しい。
ざっくり言うとそんな内容でした。
まあ、なかなか会えない息子がクリスマスが近づいてて、連絡手段が手紙しかないので仕方ないと言えばそれまでなんですが、やはり正直ショックでしたねー。
でもそれには途中経過もあります。
今年の初めに父が他界しました。
その事も子供には、メールを通して伝えてもらいました。
そして、私は春の終わりに大きな事故を起こしてしまい、手の指2本を大きく損傷しました。
入院3ヶ月半、リハビリを含め、5ヶ月ほど仕事も出来ず、しかも引っ越しました。それも1100キロ離れた土地へ。
子供でも大変なんだろうな、位は分かるかと思います。
そもそもそこが間違いなんでしょうか?
元々連絡手段でメールをすることを元妻が嫌がるので、手紙でやり取りをしなきゃ行けないので、こういうことになるんですけどね。
しかも、事故があり、手が不自由なので、しばらく手紙が書けないことも、会いに行けないことも、引越しをすることも、メールではありましたが、伝えました。
手紙が書けなかったのでやむを得ずメールのやり取りを何回かしましたがしっかり伝えたはずです。
その後の手紙がこれだったのです。
まあ子供からすれば、自分のことと、クリスマスのことしか考えてないのは仕方ないっすよねー。まだ子供ですから。
でも私は妄想しか生まれませんでした。
というか私の父のことや、私の怪我のことなど、家庭の中で全く話題にも登らなかったんだろうなと思いました。
息子から、ご愁傷さまですとか言って欲しかったわけではありませんが、爺ちゃん死んだこともなんにもなく、パパが怪我したことも何も思ってないのかなあ、と悲しくなりました。
それはわたしの傲慢さだと思うのですが、一言くらい書けなかったのかな、とも思います。この前のお盆の時に、兄姉夫婦から、このことを話したら、子供がそんなこと分かるわけないやろー、そんなことを考えてるベロは最低やな、と言われました。コントロールしたかったのでしょうね。わかって欲しかったのでしょうね。
私は悔しくて泣きましたが、それは多分息子と全く話をしてないからだと思います。
彼と話をしていたら、多分息子は私に色々なことを伝えていたでしょう。
なので、息子には恨みとかはないのですが、ちょっとくらい気にかけてくれなかったかなあ、という残念さはあります。それはコントロールなんですけどね。わたしの未熟な部分です。
でもそもそも、私がギャンブル依存症ではなく、健康な夫婦関係だったとすれば、彼は何も考えることなく、普通に子供を生きれたはずです。
それを壊してしまってのは私であり、そこまで戻ると、戻られると、何も言えなくなってしまいます。
そして、昨日沢山話が聞けたのですが、仲間にACの方がいて、やはり幼い頃に父親と離れた経緯がありましたが、やはり幼い頃には、多分色んなこと深くは考えていなかった、数少ないエピソードの中で、父親にプレゼント買ってもらった時は本当に嬉しかった。
という話を聞いて、そこでまたハッと気づきました。子供は本当に深くは考えていないんですよね。
家の中でどのくらいお金の話をしているか分からないけど、例えば私立の中学高校へ行くためにどのくらいお金がかかるのか、交通費、備品その他たくさんの費用など、小学生が考えるわけありませんね。
彼は彼の夢と希望をただ私に応援して欲しいだけなんですよね、そして、プレゼントをせがむのも、唯一の私に対する甘えかもしれませんね。
とにかく私と息子はほとんど絡む機会も今年はなかったので、想像と妄想の世界でしかないので、いつか話す機会が有れば話をしたいかなと思います。
ですがわたしの手紙は相手に読まれるけど相手の真意は私には伝わらない、電話で話すことも出来ないのに、今関わりを持っても果たして心からの話し合いはできるのか?という疑問は残ります。
そして私は私で自分たちの生活もあります。
ギャンブル依存症の当事者が慰謝料や養育費をどれだけ払って、どれが普通、というのを他の人と比べることは無意味だし、それで優劣をつけたところで何も変わりません。
ですが私は法律、というか調停で決められた範囲でそれは間違いなく行っているし、今はその頃よりも収入ば低いけど、毎月遅れのないようきちんと送っていることは間違いのない事実ですから、そこは自信を持って息子に伝えることは出来ます。
そして、私たちには余裕はもうないということも話はしようと思います。
具体的なお金の話とかはしないにしても、できることと出来ないことはハッキリと、ただ本当はどんなことでも応援してあげたいことは伝えたいと思っています。
今からの手紙に、親としての子供に対する純粋な気持ちはきちんと入れたいとは思いますが、だからといってなんでも受け入れてあげることも出来ないことも伝えようと思います。
そしていつかサシで話が出来る機会ができることを待とうかなと思っています。
ギャンブル依存症が原因となり離婚して、養育費を払ったり、払えなかったり、会えたり、会えなかったり、色んなパターンもあるし事情もあるでしょう。
やり取りが直接できるだけマシだという人もいるし、子供にそんなことを言う親は最低だなと思う人もいるでしょうね。
でも私も人間ですよ。自分だけを見つめるように、と言いながらでも、特に子供に対しては、優れた能力とかはいらないから、優しい人間であって欲しいと思いますし、私は負の妄想をしているだけで、きっと彼は人一倍優しい痛みのわかる人になっていると信じます。
だからこそ、言葉添えがなかったことが凄く悲しかったのです。
交わる時間が少なすぎて、お互いに話を出来ないことがいちばんいけないとは分かりますが、
そこはやはりお任せです。いつか時間を与えてもらえるでしょう。
私はこれからもできることは引き続きやろうと思うし、出来ないことはハッキリ出来ないと伝えていきたいと思います。
今の私はこの程度の考えしかないので、それがまた、回復してくれば、ほかの考え方も出てくるかもしれません。
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