入院生活と落とし穴
元妻としては渋々ながらも入院は決まり、寮に荷物を取りに帰りながら、職場の同僚達に、もう帰れないかも、申し訳ないと何人かには伝え、荷物をまとめてました。
実家にも電話し、ギャンブル依存症で入院すると伝えました。理解はしてなかったようです。
伝えるべき人には伝え、会いたい息子には会えず、病院へ向かいました。
病院のある場所は、前住んでいた場所だし、仲間も知ってる人沢山いたし、先生も前から知ってるので、不安はありませんでした。
むしろ、真剣さが足りなかったと、反省してますが、テレビもあるはずないのに、プレステなんか持って行ってて、長期出張のような軽い気分で病院に向かいました。
軽い気持ちで入院してしまったため、せっかくの時間を大切に使えませんでした。
入院してから1週間は、ほとんどプログラムもなく、ただじっとベッドの上。携帯しかもっていなかったので、やることない。病院にあったマンガ本を最初の1週間で、ほとんど読み尽くします。
そして、ある本を写経のようにノートに書き写すのが、この病院のプログラムのひとつであったため、暇を持て余し、通常なら、大体2ヶ月くらいかけて終わるものを、物凄いスピードでどんどん書いてしまうのです。私は1ヶ月以内でおわってしまいました。
入院してから1週間は、外出が許可されません。1度目の診察を受けてから、初めて外出、買い物程度ですが、出来るようになります。
でもどこに行くか行先は書くものの、プログラムの時間以外は割と、いつでも外出できたのです。
この入院では、沢山の良くなかったことはありました。
大きく3つありました。
①お金
お金を持っていたこと。お金の底を着く前に、ギャンブルをやめたので、利用限度額の少し手前で、しかも止める直前も勝ったので、そこそこお金を持っていて、既に200万を超える借金はあったものの、毎月最低限返済するお金はのこっていました。入院は3ヶ月なので、返済は可能でした。
結果的には、苦しい入院生活ではなく、リッチな、好き放題の依存症回復ホテル状態だったのです。友達が見舞いに来てくれたら、ご飯を食べに行ったり、服を買ったり、結構好き放題していました。
だから、ほかの入院患者からすれば、いつも何か食べ物でも、飲み物でも、タバコでも、お菓子でも持っている私が妬みの的だったかもしれません。
先生の初診察の都合もあって、10日位外出出来なかったのですが、外出して良くなってから直ぐに、携帯屋に行き、スマートフォンに機種変更しようと思ったのですが、また元妻と揉めるのは目に見えていたので、なるべく出費を抑えるため、タダで貰えるタブレットを手に入れたのです。
今は色々規制とかありますが、その時は、タダで、しかもしばらくは使用料もかからない感じだったので、使いまくります。
元々ゲーム依存もあったのに、またそこも結果的には再発して行くのです。
③車
確かに不便な場所にあるので、入院する前の必要性は感じていました。
入院初期から、ミーティングには行かせてもらったので、車はあって良かったこともありますが、浪費の点からすると、車がなければ防げたものは沢山あったなあとは思います。これは今だから思えることですが。
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