ギャンブル依存症 ベムの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

スポンサーリンク

戻ってこない、金銭感覚 ベロの物語⑫

前回の記事で、完全に調子に乗っていたこのころは、25から27才くらいで、色んな資格とかも少しずつ取っていきながら、キャリアは積み上げていきました。

 

少し難しい試験があり、それに合格した事で、またさらに調子に乗ってしまいます。

 

このころ、前居た会社に、自分からやめて、もっといい会社、いいお給料を貰える会社に入ろうとしていました。

恩を仇で返していました。

 
 
さすがにこの頃には、いつもギャンブルに勝つということも無く、段々お金が減ってきたのと、狂った金銭感覚なので、いただいてる給料だけではとても生活が出来なくなっていました。
 
 
なので、散々お世話になっていたにも関わらず、会社も移り、自分が気に入らなければ休む、サボるという生き方に段々なって行きました。
 
 
まだまだ若造で、信用も信頼もない私を雇ってくれた方々をことごとく裏切る形となって行きます。
 
次に行った会社は、私にはトラウマと言えるくらい、堕落した生活をしてしまった時代であり、この時を思い出すと、落ち込んでしまいます。
 
 
今度は福井で仕事をするのですが、ここの親方は人間は素晴らしいのですが、仕事に厳しく、また、自分がやる気があまりにも無かったので、毎日仕事場では険悪なムードでした。
 
嫌なことがあると、直ぐに休むというサイクルになっていました。
そして、休んではパチスロにいき、大負けして、会社から借りる、時には夜勤明けで、わざわざ他県のサラ金に借りに行くということをしていました。
 
当事、自分はまだ車を所有していなかったので、どこかに行くにも、会社の車を無断で借り、仕事の時間までに帰ってこない、ということを何回か繰り返し、会社にも段々煙たがられる存在になってきました。
 
どんどん会社に居場所無くなるので、仕事が嫌になり、仕事に出ていながらも、担当の場所から逃げて、タバコを吸ってばかり、何かといえば体調悪いといって、休んでいました。そのうち、使っている機械や車をぶつけたりしていました。
 
痺れを切らした親方は、私をクビにしてくれと会社に頼み、会社も私を別の現場に送るように考えていました。
 
若いのに、給料だけは沢山貰っていたので、別の場所に行きたくないと駄々をこねていましたが、仕事場で、無視されるようになり、いたたまれなくなって、別の場所に移ることを決心しました。
 
貰った給料以上ギャンブルに使うので、段々借金が膨らんでいきました。
いまになって思いますが、ここまで自分勝手になったのは、やはり寂しさ、自分の価値のなさに、罪悪感を覚え、ヤケになり、そんな負の感情が連鎖して、こういう行動になっていたのだと思います。
 
この頃から、借金は利息だけを返すという、自転車操業の状態がかなりの長い間続くことになります。
 
ブログ応援して下さい!クリックお願いします!
 

スポンサーリンク