回復のために
こんにちは、ベロです。
妻と仲間のおかげで何とか自助グループも復活し、さぁ1からやり直していこう👍
という頃に転勤が決まります。
私がやりたくなかった仕事の中でストレスなどからまたスリップしてしまいましたが、そこから変わっていくためには本当に最高の場所、仲間たちでした。
職場にも恵まれます。私の大好きな所長さんや職長さんも居る職場で、信用も信頼もありました。
なので、仕事に関しても私のやりたいように、もちろん大まかなルールはあるものの、好き放題仕事が出来ました。
さらに給料面でも破格の対応をしてもらいましたので、個人再生をしていたのですが、9ヶ月ほど早く返済も完了しました。
この県は私は3回目の仕事をする場所だったので、仲間も知っている人たくさんいたし、会場も馴染みの場所ばかりだったので、本当に楽でした。
多分神様は、重症な私に、馴染みの仲間達の中でゆっくり回復しなさいと言ってくれてたんだろうなと今では振り返ることができます。
もし底つきの初期に今の土地へ引越ししていたら、若しかするとスリップしていたかも知れません。
回復への道、やり方は知っていたつもりでも、心から回復をのぞみ、行動を実践していかなければ、ギャンブルをやめていく生活は身につきません。
たくさんの仲間とたくさんのミーティングが私の断ギャンブルを確かなものにしてくれました。
妻と周年記念もたくさん通うこともでき、総じて穏やかに過ごせた3年半だったと思います。
そして、もうひとつ大事だったのは、妻が、私に責任を持たせてくれたこと。
給料の振り分けはもちろんのこと、週末のデート代や食事代、平日のカードの管理など、ありとあらゆる金銭面、借金の返済もそうですが、任せてくれました。
ギャンブルをやめ続けることも難しいのは事実です
そしてさらに難しいのが金銭的な回復
私の考えです
「持っているけど使わない」
「誰も見てないけど誤魔化さない」
「金銭面こそクリヤーに分かりやすく」
「急な収入はまずは家族へ」
がどのくらいできるようになるかだと個人的には思っています。
金銭を管理してもらってお金を使わないのはある意味そんなに難しくないですよ。
そこができてないうちはギャンブルがやめれている訳では無いと考えます。
考え方がまともで、きちんと収支をつけていれば、パチンコ代は捻出できないですから。
まずはしっかり辞めていく
その先に、金銭管理の訓練をして行かなきゃですよね。
やめ始めの最初の頃は、家族や奥さんに小遣いをもらい、小遣い帳をつけて、少しずつ金銭感覚を取り戻すことも大事だと思います。
その次のステージは、自分で一月分の小遣いを貰っても、それをきちんと管理し、振り分け、もし足りなかったり、不測の出費があれば、きちんと話をして、正当なお金はきちんといただく、とかができるようになってくることだと思います。小遣い帳はあってもなくても。
そして、最終的には、家計の管理、把握など。
奥さんのへそくりは管理も把握もしなくていいですが🤣🤣
自分のうちがどんな状況でどこが苦しくて、何を節約するべきか、またここは楽しんでいおのか、我慢するのか、自分がさんざん使ってきたんだから、この位は家族に奉仕しなきゃ、とか色んな思いを自分だけじゃなくて大切な人達のことを思うことが出来るか、など
回復への道にはたくさんのステージがあると思います。
明確には分けられないけど、そんな気がします。
そして、最終的には、もちろん全て同時に進行していくんですが、生き方、考え方の変化、それがきちんと身についてくると、本当に安定した生活ができるんだと思っています。
これが本当に1番難しいところで、一生かかりますよね。
昔の自分生き方を捨てて、新しい考え方や生き方を模索していくのは大変なことです。
何十年も染み付いた習慣なども変えたりしなきゃなりません。
人はそんなに簡単には変われません。
でも自分のことを徹底的に、とことん見つめて、何が良くて何が悪いのか、1人だけで決めず、たくさんの意見や考えを吸収しながら作り上げていかなきゃならないので、簡単ではありません。
今となってはギャンブルはひとつのきっかけであり、生き直しができることに感謝です。
ギャンブル依存症にならなければ、ただでさえ酷い自己中心的な性格を変えようとも、変わろうとも、変わりたいとも思わなかったでしょう。
成長してるかどうかは別として、前の自分よりも成長したい、少しづつでも変わっていきたいと心から思える今は充実してるのではないかと思ってます。
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色んな言葉で
おはようございます、ベロです。
前回はやっと私が自助グループに繋がりだしてから、本当に底をついた時のことを書きました。
そして、スリップした後私はたくさんの仲間に連絡を取りました。
今日はそのことを。
大きなスリップをしたあと、私はギャンブルをしてしまった理由とか、言い訳をたっぷりと妻に話していました。
最初からきちんと話しは聞いてくれるものの、
妻は一貫して
「私はギャンブラーの心理は本当に分からないから、仲間に相談してみたらどうかな?」
と言ってくれました。
確かに今は家族に対する言い訳を並べ立てたり、自分を正当化している場合じゃない。
そして、傷ついたにせよ、その感情は家族のもの。
私にできることは、ただ一日を大事に、まずはギャンブルをしない日を積み重ねること、
そして回復していくためにあらゆるできる努力をしていくこと。
その結果として家族が離れたり、距離がすごく空いたりするのは仕方の無いこと。
結果を想い描きながら行動をしている場合じゃない。
とにかく私は、スリップ後に仲間に電話しまくりました。
幸い、いわゆるテレフォンリスト🤣がありましたので、仲間たちに話をしました。
怒る人はもちろん居ませんでした。
「辛かったね」
「大丈夫、何度でもやり直せる」
「そんなことないよ、ベロさんは今までも頑張ってきたよー」
「誰にでもスリップはあるからね」
「また1から頑張ればいいよ」
たくさんの労いの言葉をかけてもらいました。
もちろん厳しい意見も。
「自助グループには必ず週2回から3回は行かないと、特にスリップあとは増やして」
「仲間と毎日電話で話したら?」
「今は1人で我慢して生きていく方がいいんじゃないの?」
「ステップをやり直した方がいいよ」
たくさんの言葉をかけてくれました。
そして、電話で聞くスタイルも本当に様々😌
ひたすらしゃべる人😉
ずっと聞いてくれる人
アドバイスしたがる人
自分がやってきたことを教えてくれる人
本当に様々で、仲間に仕事終わって帰ってきあとは、毎日仲間と話をできたので、スリップ後に落ち込みはあまりありませんでした。
スリップの告白の時に妻に話をするのが1番辛かったですが、仲間たちと話をして、その全てが私のことを真剣に思ってくれていることをまさに肌で感じて、心から感謝することも出来ました。
そして、繋がり続け、仲間と不器用ながらも交流も続けてきたおかげでピンチの時も寄り添ってくれる、話を聞いてくれる仲間たちに恵まれたなあと、神の配慮に本当に感謝出来ました。
さんざん人付き合いを避けてきて、1人が大好きだと思っていた私がここまで人に電話して、話を聞いてもらおうと努力したのは実はこの時が初めてで、それまではやはり自分の力ばかり信じて、人の話は聞いてきませんでした。
ある意味、私はスリップを何回も重ねることによって、自分を振り返り、変わるための努力の仕方も少しずつ変えながら、回復への道を、1歩ずつ歩き始めたんだと思います。
終わることの無い回復へのみちは、今はワクワクばかりです😌
自分だけで決めなくていいこと、仲間からはどんな仲間からだって学べることはあること、仲間を頼りにしている間はギャンブルの問題からは離れていることを思いました。
これからも続けていきたいし、なかまからは離れないようにしなきゃです。
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やっとついた底
こんにちは、ベロです。
連日とにかく歩き回る仕事で足が重たいのですが、今はリーダー的存在になって仕事を振り分けながらやってるのでやりがいはありますね。
昨日はゲームは何とか断念した、という話でしたが、そのあとの話です。
私は色んなものを一度にやめる必要がありました。
私はモグラ叩きのように、ひとつの依存を押し込むと、他の依存にスライドする、というような重症な依存症当事者なんで、どれかを野放しにすると、全てがまた浮き上がってきちゃうのです。
私は特に、タバコとギャンブルが密接に関係しています。
タバコが吸いたいがためのスリップは何回もあるんです。
少し生活費が足りないから、ギャンブルで勝って、それを補おうという考え方が根底にあったので、その些細なタバコ代を出さず、パチンコで勝って、玉で替えよう、という気がすぐに起きてしまうのです。
そして、私はタバコをやめてみるまで、何度か失敗しました。
最後は禁煙外来に行きましたが、薬がいい意味で効きました。
薬を飲むと吐き気がするようになり、薬を飲むのをやめ、またタバコもやめられています。
今3年か4年か忘れましたが、やめてます。
次いつギャンブルをしてしまうか分かりませんが、スリップの時は恐らくタバコはセットだとおもいますね。
ゲームに関してもそうです。
私の場合は、人とのやり取りや賞賛など承認欲求も激しいけど、ガチャにもハマりました。
あれはまさしくギャンブルなので、ガチャを始めると、同時にギャンブル欲求も高まってきてしまうのです。
私はお酒は昔飲んでいたことがあるのである程度飲むお酒の種類は限定されますが、飲めます。
だけど元々は強い方ではないし、晩酌を一切しない人なので、余程のことがないとアルコールには依存しないと思います。
それと薬物に関しては私は普通の処方薬もかなり効くほうなので、どんなものにせよ、怖くて手を出してこなかったというのが本音です。
たまたまですが、試してみたいとも思わなかったです。
他の依存も今のところはないので、私の場合は3つの嗜癖をセットで封じ込める、というかやめ続けてこそ、自分の平穏が保てるという感じです。
話しはそれちゃいましたね。
ゲームに依存してた頃はギャンブルもスリップもしていました。
借金があったので、それを毎月かなりの額返してましたが、ゲームの課金額が増えることによって、借金も全く減らない、むしろ増えるような感じでした。
その時は狂った頭だったので、その増えた借金はやはりギャンブルで1発逆転しかないと思っていたのです。
もちろん借金の限界も精神の限界も来ました。
最後にスリップをした時は、チョコチョコスリップしていたため、自分にとっては本当にたちの悪い、やめられない状態でした。
近いスパンで何度もスリップをする私を見守っていた妻とある時話していた時に言われた言葉で本当に底をつきました。
「本当はギャンブルが好きでギャンブルがしたいんだよね」
妻に言われた時、私はかなり激昴しました。
ですが、まさにそのとおり。
私はギャンブルが大好きなんです。
ここまで色んな人に迷惑をかけ
家庭も失い
お金も失い
友達や周りの大切な人も失い
たくさんのものを無くしても
まだギャンブルがやりたいんです
今でも大好きなんです
それを心の底から認めることができた時に
あー、だからギャンブルをやる権利を神様から取り上げられちゃったんだね
という感覚が落ちてきたんです。
ほとんどの人はギャンブルを楽しむことができるのに、あまりにも嗜癖を使いすぎたため、もうその嗜癖は使っちゃダメ🙅
と神に言われちゃった、みたいな感覚が出たんです。
それから今のところギャンブルの衝動は起きていません。
二度とギャンブルをまともに打つことは出来ない、と心の底から認めることができたからです。
だけど今もギャンブルは好きですよ。
私が大好きだった4号機の話なら、寝ないで熱く語れますから🤣🤣
人によってはそれは違うと言われるかもですが、今のところ私の本当の底はこの出来事だったように思います。
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退院後もハマります
こんばんは、ベロです。
元の話に戻ります。
退院が迫ってきて、最後に入院の感想などをみんなの前で発表したりするのですが、いかにも薄っぺらくて、内観療法もやったのに、自分の中に残っているのは、ただ外界から遮断されて、体が休めたことと、確かに自助グループには行けたので、仲間と繋がれたことくらいです。
入院中も心が安定していたと言うわけではありませんでした。
やはり誰か、何かをターゲットにして、不平不満ばかりを同じ入院患者と語り合っていました。
だけどね、自分の経験から自分の話ですけど、仲間と繋がってるからと言って安心なことはひとつもありませんからね。
仲間と繋がってたって、ギャンブルに対する無力をきちんと認めて、もうやらないと言う思いとか、やめ続けるためにどうやって生き方を変えていくとか、人のことじゃなくて自分のことを見つめるとか、実はたくさんの条件があって初めてやめ続けられるのであって、色んなものが欠けていると、すぐにまたスリップしてしまいます。
本当に今でも思いますけど、やめ続けることって簡単なことではありませんから。
わたしは退院後、すぐに離婚の話をしました。経験された方はお分かりでしょうが、ものすごく大変です。
別れる原因を作ったのはどっちですか?と言われちゃいそうですが、もちろん私のギャンブルが原因で生活が破綻し、信用、信頼を失った為に結果として離婚ということになってしまったのです。
だからといってこっちにダメージが全く無いわけでもなく、離婚に関する色んなことをやるストレスもあるし、私の場合は公正証書も作ったので、そこからまた大変でした。
私はただいち早く別れるために、ほとんどの条件を鵜呑みにしてしまったため、それは今でも厳しさは続いています。
金銭面だけではなく、他の条件なども、考慮してから公正証書作成しないと大きな大事になりますから。
どちらの側も気をつけた方がいいと思います。
私にとってはやっとの思いで離婚しました。
というのは、そのときもですが、元妻の金銭的執着が本当に嫌で、早く養育費だけにしたいという思いがありました。
その当時は本当に憎しみしかありませんでしたね。
相手も私とやり直すことは考えてないので仕方ありませんが、病院に入院中の対応の悪さ、遅さや、離婚が決まってもいつまでも生活費を請求されることに本当に嫌気がさしてました。
しかし相手からすればごく普通の真っ当な請求だったようで、私は根こそぎ持っていかれました。
そのストレスもありましたが、何しろ私はゲームを全くやめていなくて、ギャンブルがゲームにスライドしました。
完全に現実逃避のゲーム依存症です。
現実の世界は仕事も復帰し、辛いことばかりありました。
仕事、離婚問題、借金問題。
それを忘れさせて貰えるのがその時はゲームでした。
ゲームの世界の中では、まあまあな立場で、サブリーダー的な存在、戦いがあるゲームだったので、その戦略を立てたり、勝つための連携を考えたり。
イベントでもまあまあいいポジションになったり。
完全にゲームに逃げていたので、ゲームばかりしていたので、ゲームのレベルはすごく上がっていたし、何しろ課金しました😰
酷い時はひと月に50万もゲームに課金していました。
現実を全く見ていなくて、仕事を休んでまでゲームしていました。
ゲームの中で立場や賞賛を受ければ受けるほどゲームの時間、ゲームのことを考える時間、そして、課金が酷くなっていきました。
いつの間にかゲームの中から抜け出せなくなっていました。
それを救い出してくれたのは妻です。
離婚したあと色んな経緯があって、付き合うようになっていました。
彼女はその頃一人暮らしをしていました。
時々遊びに行く事がありました。
ある時私がタブレットを家に置き忘れた時に、たまたま課金の明細の画面に妻がたどり着いたのです。
あまりお金のことや、タブレットのことも詳しくない妻がよくそこにたどり着いたと思いますが、何せそれを見て本当に驚いたようです。
そして、ここ数ヶ月の課金の額を私は見せられました。
「これどういうことかな?」
「今の状況でいいと思う?」
「あなたは現実の世界に生きてるんだよ、こっちに戻ってきて」
色んなことを言ってくれました。
私はその頃ガラケーとタブレットの2台持ちだったので、タブレットは妻に預けることにしました。
そうすればゲームも出来なくなるので。
でもタブレットを預ける時もさんざんごねました。
まずゲームをやめたくなかったことと、その中で知り合ったゲーム仲間と離れたくなかったこと、またゲームを断念したあとも、お別れの挨拶がしたいとか、本当に現実に戻ってこいよ、という感じでした。
今となっては本当に笑い話ですが、その当時は大真面目。自分の心臓をえぐり取られるような感覚でした。
しかしながら、自分のおかしさはわかっていたのと、ギャンブル依存症からの回復をめざしているので、ゲーム依存からは、私の場合は完全に絶つことしか離れる方法はないと思っていたし、そうしました。
私はスマホをもって、ようやく3年目です。
それまでは自分がゲーム依存だとわかっていたので、持ちませんでした。
色々考えることや、落ち着いてきたのもあり、スマホを持つように決めましたが、妻は心配はしていました。
今でもゲームはアプリもひとつも持っていません。
無課金のものだろうと、課金するものだろうと、私はハマりやすい性格だというのがわかっているので、やらない選択肢しかありません。
たた昔と違うのは、今回のTwitterのように、一旦止めてみるとか、やる前に検討してみるとか、以前にはなかった行動をとる事ができるようになったことです。
自分が変わるために何をしていこうか、何をしたらどうなるのか、始める前に少し考えて、それでもやりたければやるという行動をするようになってきています。
それは私の変化だったり、成長だったりするのでしょうが、まだまだ大人としても半人前。
たくさんの人生の修行が必要ですね。
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本当に未熟です
おはようございます、ベロです。
まあ全く子供です。
私がね。
金曜の深夜にTwitterのアカウント3つ消しました😓
まあ話しは色々あることはあるんですけど、元々Twitterはあまり関係なく、人間関係といえば人間関係のことです。
でもそれがきっかけで、頭が、脳みそが熱くなるのを感じてしまって、勢いで、もういいや、ってなっちゃいました。
やはり自分で思いましたが、私は精神に病を抱えた人だなあ、と思ったし、白黒思考も抜けないなと改めて感じました。
このやり方って、ギャンブルしてた頃の行動といっしょなんですよね。
嗜癖を今回は使わなかったものの、そのやり方、全てを投げ出したり、やろうとしてたことから逃げようとしたり。
変わってないなあと思いました。
それと同時に、変わったなあと思うこともありました。
今回たった2日とはいえ、Twitterをやめて、たくさん考える時間が出来ました。
逆に言うと、それだけTwitterを見たり、触ってる時間が多かったって言うこと。
ここ1週間でのスクリーンタイムが42
パーセント減ってたことなども考えると、やはりかなり依存していたんだなと思いました。
少し恐ろしくもなりました。
そして、やめたことによって考えられたこと。
元々Twitterを始めた時のアカウントはもう迷走もいい所。
挨拶をして、日常をつぶやくだけのアカウント🤣
自分自身で何をしたいのか、なにをしてるのか分からない状況が今も続いています。
目的を持ってTwitterを始めた訳では無いので、日常アカあってもいいのかもですが、時に負担になることもありますので、そこは復活させるかどうかは考え中。
5000人まで育てたのでもったいない気もしますが、それでも中身の濃い関係が作れたかと言うとそうでもなく、今のアカウントの中で、繋がりたい人は充分居るので、それはそれでいいのかななんて思ってます。
私がTwitter始めた頃は、自助グループに通っている人がバンバン発信してる訳ではなくて、むしろシークレットなイメージだったので、少しでも自助グループの良さを広めたい、とか全国の仲間たちと繋がりたいとかいう目的ではじめたんです。
でもいつの間にか人を増やす手段だったり、自分の発信力をつけるためにフォロワーさんを増やそうとしたり、迷走しました。
今回消しちゃったことで、冷静に判断できることもありました。
やはりTwitterの時間が多すぎ。
それでなくてもオンラインミーティングもまあまあ参加もしてるのに、スマホを触る時間が多いってことも意識しないと、と思えました。
それと、この世界の人間関係を気にしすぎていました。
私は普通に距離を保つようにと考えていましたが、意外と出来てなかったとも思ったし、それは意識していかないとどんどんハマっていくもんだなというのを改めて感じました。
それは私がゲーム依存で、今なぜやめれているのかもうまく説明できませんが、ゲームの中の人間関係にどっぷり浸かり、実際の現実社会に居場所を無くしたあの頃のことを思い出したこともあります。
あの頃はそのときで、そうするしか自分を保てなかったのも事実ですが、やはりそれは実際目の前にいる人を見てないということにもなるし、居場所は逃げていても作れないし、ということを考えさせてもらいました。
まだまだ色々未熟なので間違いなく迷走するでしょう。
だから皆さん暖かい目で見てください🙇♂️
基本からブレブレなので、1からやり直し、みたいな所もありますね。
これからも良かったらよろしくお願いします。
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入院するものの
働けることはありがたいけど半月も休んでいたのですっかり体がなまってしまってますね😨
コツコツやってるつもりだし妻の愛情マッサージも毎日してもらってるのですがなかなか元気をキープ出来ません😓
おはようございます、ベロです。
大きなスリップをして、もう入院するしかないと自分で判断し、元々お世話になっていた病院に連絡して、週末に電話しましたが、すぐに予約が取れ、たまたまベッドが空いていたので月曜から入院することになりました。
とにかくギャンブルと、借金をどうするか、仕事をどうするかというようなことばかり考えていて、他のことは考えていなかったのが正直なところです。
スリップの最中に自分の財布もパチンコ屋で無くして、後日財布は帰ってきますが、中身は全て抜き取られていました。
なので、とにかくお金に囚われ、次の日にギャンブルするための資金の確保が私の1番大切なことでした。
ギャンブルからやっと離れ、入院することになって、正直ほっとしました。
やっと開放される。
最後の方は、誰かに強制的に打たされているような感覚はありました。
勝てないってわかっているけど、ギャンブルをして借金の返済なんかできないことはわかっていても、一発逆転して、借金をチャラにしなきゃという考え方以外が浮かぶことも無く、週に1回くらいしか勝てないのに、毎日仕事もせずにギャンブルばかりしていました。
それをしなくて良くなって、本当に心が救われました。
そんな思いしてまでやらなきゃいいのに、と思うでしょうが、これが本当にギャンブル依存症の怖さですよね。
ブレーキが効かない車でかなりのスピードで暴走してる車のようです。
あちこちぶつかり、時には逆走したりして、それでも止められず、燃料(お金)がなくなるか、自分が死んでしまうまで止められない、恐ろしい病気です。
なんにせよ、入院の手続きもし、そこから元妻とは一切連絡はしなくなりました。
一度お金もあまり持ち合わせていなかったので、日用品を送って欲しいとメールしたことがありましたが、なんの連絡もなく、固形洗剤が2つ送られてきただけでした。
その時はまだ離婚の話しはしてませんでしたが、私の中では、最期の糸が切れた瞬間でした。
もちろん家族側からすれば本当に酷いこと、相手が傷つくことばかりしてきたので、当事者が何を言うんよ、という思いがあるでしょうが、私も病気で狂っているけど人間。
せめて何かしらやり取り位はしたいと思ってましたが、もうやり取りさえしたくなかったのでしょうね。
そうして入院生活が始まりましたが、ほっとしたのと同時に、完全に入院というのを軽く見ていて、心を休めるためと、強制的にギャンブルから遠ざかるためだけに入院したようなものでした。
其れはなぜかと言うと、まずひとつが入院の際って何を持っていきます?
着替えとか衛生用品とか、風呂や洗濯の道具とか、ですよね。
なんにせよ入院だし。
私は何を持っていったか?
ゲーム機です😰
遊びに行くわけじゃないし、治療のために行ってますよね。
そもそもの向き合い方が気持ちが入ってなかったように思います。
普通に病院ではゲーム機は却下され、車の中に3か月置いてました。
その代わり、1週間外出禁止が解けた後すぐ、タブレットを購入しました。
元妻とは何も話し合わずに。
ニュースや色んな情報を知りたかったのも事実ですが、結局そこでゲーム依存がまた始まってしまいます。
最初の頃はすぐに終わるようなゲームをし、病室の人と会話をしたり、写本などあったので、コツコツ真面目にやっていました。
入院生活も真面目にこなし、プログラムも色々あったのですが、向き合って、回復に向けた行動をしていたつもりでした。
私は車を持ってきていたので、院外のミーティングにも入院仲間を連れて毎週2回位行ってました。
でもその中で、ある人に勧められたゲームがきっかけで、ずっとそのゲームをするようになります。
入院中はさすがに簡単に出歩くこともできないし、お金もあまり持ってないので課金とかはしませんでした。
でもその代わり時間だけは大量にあるので、寝る間を惜しんでゲームをしていました。
あまりにもゲームに夢中になり、だんだん色んなことが面倒になってきます。
写本も適当になり、プログラムも集中出来ず、みんなで集まって談笑することもあまりなくなり、ひたすら空いた時間はゲームをしてました。
入院の最後に内観療法という誰でもはやらない特別な人プログラムもやらせてもらったのですが、ゲームに依存していたため、効果は半減以下だったように思います。
わたしは病院しか入院したことがなくて、しかも携帯とかタブレットを取り上げられたりもしなかったので、結果的には残念な入院となりました。
ギャンブルはその時は止まったものの、ゲーム依存がまた出てきただけでした。
そして、退院してから1年も経たないうちにスリップもしましたから。
自分に向き合う入院とかをするならば、スマホとかは邪魔になるかもしれませんね。
それよりもたくさんの本や、自分の過去を書き出したり、もっと向き合うことは充分できたとおもうので、そこは悔やまれるところです。
せっかくの入院が、ただの入院したことがある、という経験にしかなりませんでした。
今日はここまでにしておきます。
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順調だったのに
昨日も素敵な分かち合いができたので、満足して就寝、そして、朝は気持ちよく起きられて、いい気分✨
繋がってますね😉
おはようございます、ベロです。
今日は明るい感じから始まりましたが、明るい話しではありません😨
一度スリップしたあとは、ステップにも取り組み、仲間もたくさんの増えてきて、私の回復への道の基礎を作る3年半の時間がありました。
その中では、毎回のホームのミーティングに加え、月に1回から2回、周年記念に参加させてもらったり、色んな講演をききにいったり、充実した時を少しずつですが過ごして行けるようになっていきました。
自分のホームグループの周年記念も2年に1回ですが、企画や役割もたくさんさせてもらいました。
もちろん通常のミーティングでも会計も、司会も、会場予約も経験させてもらいました。
最大のことは、自分でグループを立ち上げさせてもらったこと。
もちろん一人の力でもなんでもなく、仲間がたくさん手伝ってくれて、しかも最初の頃はなかなか地元の方が見えない中、皆さん結構遠くから通ってくれました。
最初の1年は本当に仲間に支えて貰った思いしかりません。
田舎というのは本当に噂話や世間話が横行しているらしく、身内にギャンブル依存症の人がいることが恥ずかしい、だから尻拭いをして、何も無かったように過ごす、そして、病気は悪化し。いつの間にか取り返しのつかないことになる、というパターンが結構あります。
今私の住んでいるところも同じような感じ、そして、更に高齢化しているので、なかなか認めない、ギャンブル依存症を否認する人も多いとおまうので、先は明るくはないですが、頑張っていくしかありません。
話しは戻って、仲間たちに囲まれた時間が多くて、そうなるとステップをしていても、少し遠ざかってても、穏やかな日常は過ごすことができます。
私はその頃は寮に住んでいました。
週末になると家族のいるアパートに帰ったりしてましたが、息子との関係はまあまあそんなに悪くないものの、元妻とはいつも喧嘩ばかりでした。
私に負けず劣らず気の強い、我が強い人なので、お互いになかなか着地点が見つからず、長期連休は嫌でした。
一緒に連休を過ごすと3日と喧嘩のない日がないので、お互いに話して、3日以上は一緒に居ないというスケジュールをくんできました。
今思うとそれもおかしいとは思うけど、お互いが穏やかに過ごすために、仕方なかったのかも知れません。
本当は回復して、家族とも上手くやって行けるといいのでしょうが、私の場合はその頃の家族とはあまり上手く行きませんでした。
それでもそんなことも含めて仲間には分かち合いはたくさんできていました。なので不安はあまりなく、ギャンブルの衝動も起きることもありませんでした。
いつしかギャンブルの問題の方が自分から立ち去り、金銭面でも借金とかもなくなり、順調に回復への道を進んでいると自他ともに思ってました。
そして、自分が立ち上げたグループと、家族のグループ合同で周年記念も行い、そこでも素敵な仲間たちに協力してもらい、素晴らしい会が出来ました。
何もかも順調に思えてましたが、そこで私は試されます。
私が担当していた仕事も信用、信頼され、そこが終わるまでは絶対いて欲しいということを上の会社から言われていましたが、突然転勤が命ぜられます。
あとから聞いた話ですが、社長と会長は私のキャリアをさらに上げて、幹部にするために、敢えて別の場所に行かせ、そこで経験を積んで、所長にしたいという考えがあったようです。
しかし私はそこで逆にプレッシャーや人間関係で上手くいかず、潰れてしまいました。
拘束時間が長い仕事場で4時間残業はざら、夜中まですることも時々あるような超ブラックな仕事をしてたため、だんだんメンタルが削られます。
見た目は日に焼けて真っ黒になり、健康的で、体重もかなりやせて、すごく健康的な容姿にはなりましたが、中身は病み病みでした。
そして、職場の同僚と合わず、何をするのも嫌になり、少しずつ休むようになりました。
休めば休むほどその関係もいよいよこじれて、仕事に行きたくなくなります。
忙しいので自助グループに通うことも出来なくなり、自分で立ち上げたホームグループでさえ、最期の30分くらいしか行けなくなりました。
仲間ともあれほどやり取りしていたのに、まったくしなくなりました。
皆さんおわかりですよね。
ここで私は大きなスリップをします。
1か月くらい仕事にも行かず、毎日ギャンブルをしてました。そして、任意整理から一定の期間も経っていたので、またしゃっきんをすることもできてしまい、あっという間にゴロゴロと転げ落ちてしまいました。
長いスリップの後、元々次スリップしたら、入院するということも話をしていたし、自分でもそうしようと思えたので、私が最初に担当してもらった病院に入院することになりました。
それと同時に、やはりわたしは正直にもなれず、上手くいくこともない元妻と離婚をする決意を固めました。
相手はすごくプライドが傷つけられたでしょう、スリップされた上に、私の方から離婚を切り出したので。
でもこれ以上お互いに傷つけあうのもいやだし、相手側ももう一緒に借金も払いたくないし、共にやっていく自信もない、ということで、退院したら離婚をするということになりました。
今日はここまでにしておきます。
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スポンサーシップ
今日はジメジメしてまた調子が上がらない一日になりそうです😨
なかなか体調が上がってこないなあ、でも一日を何とかコツコツやって行ってる今日この頃😃
おはようございます🤚ベロです。
昨日書きましたが、ある周年記念に行った時に、転勤前だったので、まさかの今後の私の回復の活動に関わるスポンサーさん達と出会うことなど全く予想もしてなかったし、実際行っても気づかなかったのですが、神様がくれた出会いですねー😃
その時はただ仲間に連れて行ってもらい、転勤先で最初のスポンサーと会いました。
一度お会いしてたので、再会もスムーズでしたが、最初はまさかスポンサーになってもらうことになるとは思いませんでした。
私の近くに彼の職場があったので、車でミーティングに送って貰ったり、それこそ周年記念に連れて行ってもらったりと交流を深めていきました。
何とか私が1年目のバースデーを迎えた後、生きづらさが抜けなくて、どうしたらいいんだろうと悩んでる時に、相談をしてみました。
そして、12ステップに興味あるものの、どうしたらいいか分からないことや、私のホームには、ビッグブックを使ったやり方をした仲間はいなかったので、探さなきゃということを話をしていたら、私で良かったら、と言って下さり
ぜひお願いします✨
ということでスポンサーシップを始めました。
週末に私のホームに来てくれて、毎週分かち合いをしながら、少しずつ読み合わせや書き込み、たくさんの話を聞いてもらいました。
毎週笑いあり、分かちあって落ち込みもあり、本当に素敵な時間を過ごすことが出来ました。
ステップ9までは何とか進んで行ったのですが、埋め合わせの段階の途中でスポンサーと連絡が取れなくなり、スポンサーも大変な状況にあり、今はステップを進められないということになりました。
正直恨んだこともありましたが、そこで2人目のスポンサーが現れます。
と言うよりも元々知り合いと言うか、時々行くグループの代表の方で、この方もステップに熱心に取り組んでる方でした。
そして、私の状況は知っていたので、ステップ10からをやっていきましょうか?
と提案して下さり、進めていくことになりました。
お陰様で一通りプログラムを終わらせることが出来、スポンシーも持つことができるようにもなりました。
でも実際は正直なところ、スポンサーとスポンシーの中に立場の上下はないと言いながらも、私が話をするよりも、スポンサーが私に話したり、相談してくることの方が多くなってきました。
私はその頃はまだまだそれを受け止めるだけの技量も穏やかさもなく、だんだん面倒になり、怒りも出てきました。
そして、ある時不満をぶつけてしまい、相手もそれに気づいていたので、スポンサーシップは解消になりました。
その後が私はかなり時間が空いてしまい、実際にプログラムに向き合わなかった時間が長くあります。
なので、私は未だにステップに対して自信もないし、霊的な生き方を目指そうとはしていても、しっくり来ないこともあります。
そして何しろ俗っぽい🤣
本当に原始人のように感情のままに生きているような気がします😨
そのあとは何年も経って、スポンサー不在のまま、何人かスポンシーも持ちましたが、なかなか上手く行かない時もあり、そんな時は、また更に違う仲間に時々相談していました。
私はその方をすごく尊敬していて、今でももちろんですが大好きな仲間です。
その方がギャンブル依存症だとはにわかに信じられないほどの穏やかで、霊的な素敵な仲間です。
その方にスポンサーになってもらいたいと思っていましたが、場所が遠いのもあり、なかなか頼めませんでした。
ある時、ステップミーティングがあり、その打ち上げの時に、たまたま席が隣になり、そこで妻が橋渡しをしてくれ、ずっと憧れてることや、スポンサーに、なってもらいたいとずっと言ってました、ということを伝えると、
じゃあやりますか!
とあっさり引き受けてくださるようになりました。
なかなか会いに行ける距離でもなかったので、LINEでのステップでしたが、話もよく聞いてくれて、また違う、しっかり伝えるものの、自由な感じのステップでした。
そして、また棚卸しをして、ステップ5をしなきゃですね、という時に私が大きな事故を起こし、中断せざるを得なくなりました。
わざわざ入院先にも会いに来てくださり、本当に感謝です。
私が転勤になり引越しをしたのと、事故の影響でリハビリなどをしていて、ちょっとステップが疎かになっていました。
そして、しばらく期間が空きましたが、また再会することになり、その時に今のスポンサーに久しぶりに出会います。
特に何も考えてなかったのですが、やはりステップ5をもう一度しなきゃということや、近くはないものの、何とか会いに行ける方、そしてもちろん人としての魅力のある、パワフルな仲間だったので、お会いした時に、ステップをお願いし、前のスポンサーには、解消をさせてもらいました。
なので、私はスポンサーを引き受けてくれた方が4人いらっしゃいます。
本当にそれぞれの仲間からたくさんのものをいただきましたし、今でもまた頂いています。
まだまだ私は未熟だし、一生をかけて少しずつ12ステップも学んで行きながら、回復を目指して行けたらと思います。
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心を開いたら
おはようございます、体調が戻ってこないなあ😰
このだるさは季節柄か気圧のせいか、心に無理をしてることはないので連休明けの疲れか分かりませんが今ひとつスッキリしない😨
ても仕事場に行ったら元気に仕事やれてるので朝だけ気をつけていれば今週も乗り越えて行けるかな👍
ベロです。
昨日は自助グループに通い初めてのスリップの話をしました。
無力に関してはまだしばらく底をつかず何回か繰り返してしまうのですが、仲間、ということと、人を頼る、相談する、ということはこの時から始まったように思います。
この時の記憶が鮮明に残っているので。
私はスリップの後、元妻に尻拭いはして貰えず、会社には一括で、友達にはコツコツ返さなければならないようになっていて、昔と比べると大きな借金では無いものの、その返済に囚われていました。
自助グループに行って、スリップを告白した時に
「よく話してくれたね」とか
「勇気をだして告白してくれてありがとう、また一から頑張っていけばいいよ」
とかたくさんの暖かい言葉を頂き、私のことを否定するような話とかは一切なくて、寄り添ってくれ、理解してくれるような言葉かけしかありませんでした。
もちろんそれでいいよ、ということではなく、スリップしてしまうのは病気だし、仕方の無いこと、だけど、そこで終わりではなくて、また一から頑張って、コツコツ一日を積み重ねていきましょう、一緒に。
という思いはすごく伝わって、ここでもまた泣いたように思います。
そして、私はここで初めてこのグループの代表に個人的に連絡先を聞き、話を聞いてもらうことになります。
連絡先を聞いたのはすごく勇気が要りましたが、底から心が一気に開けていけたのを覚えています。
その仲間もスリップしたこともあり、離婚も経験されていたことから、色んな話が出来ました。
そして、私は借金の返済を早くしたいため、副業を何ヶ月か、借金がゼロになるまでの間だけやろうと考えてること、アルバイト雑誌を買って、面接までこぎつけてるところが2つあることなどを話しました。
仲間は
「今大切なのは、回復するための土台を作ること、借金の返済は、少しづつって相手方も納得してくれてるんでしょ、納得してないにしても、今はバイトをして無理する時間があるなら、自助グループに行く回数を増やしたらどうですか?」
と素晴らしい👏アドバイスをくれて、そうしたいなと思いながら、しかし面接の予約はしてたので、2件してきました。
やる気がなかったのか、小汚い格好で行ったのが行けなかったのか、2件とも断られました。
今思うと、いかにも失礼、面接を受けに行くような体制、姿勢ではなかったと思います。
いかにも世の中をなめている態度でした。
でもここで断られ、元妻にも、今はアルバイトよりも、自助グループに通うことを増やそうと思う、ということを伝え、時間はかかるけど、毎月少しずつ返済をしていくことにしました。
そして、実際少ない時は月に2回しか通ってなかった自助グループを週に2回、最低でも月に8回、多い時は12、3回行くようにしました。
行ってみて思ったのは、実は行こうと思えば行けるし、遅れてから参加しても、全く問題ないということでした。
そして、適当に通っていた頃とは違って、仲間の話がどんどん入ってくること。
私と違う考え方の人も沢山いて、戸惑うことや反発することもあったけど、それは人それぞれというのは少しずつ身につけていけたことです。
どちらにしても人の話がちゃんと入ってくるので、その話の共感できるところをきちんと持ち帰ることができるようになってきました。
そして、スリップ後の通院に関しても、先生に直ぐに言わなかったことを謝り、また心も更に開けるようになり、先生と話したりSWの方と話すのも楽しくなっていきました。
そして、そういった活動をしていく中で、相談に乗ってくれたホームの代表からOSMに誘われて参加した記念ミーティングで、今思うと、私は3人のスポンサーさんに会っているのです。
しかもみんなと握手しています😉
思えばそこがステップの始まりだったんですね。
わたしは今4人目のスポンサーなんですが、その方以外の人にそこで会えたというのもやはり神様の計画なんでしょうね😃
まさか今のような状態になるとは誰も予想してなかったでしょうけど😨
今日はここまでにしておきます😉
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初めてのスリップ
こんにちは、ベロです。
きのうは沢山寝てしまい、最近のルーティンの朝ブログアップが出来ませんでした。
そして体調不良は終日続き、夜もアップできず、今日の朝もできず😨
やっと昼過ぎに書けたという状態です。
何十年もギャンブルをやり続けてきて、自分のギャンブルがおかしいことには気づきながらも、本当のところがわからなかったのが、先生や仲間たちに出会ったことで、ギャンブル依存症という病気があり、完治することはないこと、また回復はあり、自助グループに通い続け、仲間と一緒にやめ続けることで生き方考え方を変えていくことはできる。
ということは、少しずつ学んでいくことになります。
だけど、前回のブログにも書いたように、やめはじめは、いつかまたギャンブルを楽しめるようになる、そのために今からギャンブルと上手く付き合う方法を模索していこう、という考え方を持っていました。
ギャンブル依存症のみなさんも出来ればそうしたいんじゃないでしょうか?
今ギャンブルと上手く付き合いながら、コントロールできるなら、私はギャンブルやりたいですよ。
これだけ自分の人生も、周りの人もまきこんで、不幸のどん底に落としているにも関わらず、やれるならしたいです。
それだけこのギャンブルの刺激というものに洗脳されているんでしょうね。
今の私にギャンブルに対する無力が入っていなければ、休んでパチンコをしにいくでしょうね。やっと解除されたから、客を引くために出すだろう!とか勝手な解釈をするでしょうね。
パチ屋も危ないから回収するだろうとは考えることはないでしょうね。
つながり初めは、自助グループの仲間のことを、やはり仲間とも思うことは出来ませんでした。
週に1回通っていましたが、電車で45分かかるところで、歩きで10分。今となってはなんともなく、行こうと決めたら2時間かかっても行きますが、最初の頃は苦痛でした。
なんでこんなことしてまで通わなきゃ行けないんだろう。
この人たちと俺とは違うし、俺は仕事休んだり、休職したりしてないし、ちゃんと稼いでるし、とか本当に仲間と自分との違い探しから始まります。
今は状況や環境によって思いや動きも違うけど、ギャンブルをやめよう、やめたいという仲間達が集まる場所と思っています。
けど最初の頃は、ギャンブルでどうにもならなくなった人達があつまり、傷を舐め合う場所だと思い、俺は違うから、ミーティング終わればもう話すことはない。
とか、この人達はギャンブルが下手なんだろう、だから、うまく付き合う方法を教えてくれないんだろう、とか、分かち合いはあくまでも綺麗にまとめて、家族のために何とかやめたいです、なんて話してたような気がします。
そして、週に1回が月に2回、と毎週行くことすら真面目にもせず、そのくせ本当に効果あるのかなあ、と疑いさえ持っていました。
しかも、仲間の話を聞いているフリはしているけど、あまり頭に入ってませんでした。
なので、最初の半年ちょっとで、自分はもう大丈夫なんじゃないか、と思ってしまったのはごくごく自然なことでした。
仲間も頼らず、ミーティングにも真剣味がなく、もちろんステップもしていなかったので、中途半端な自信から、もうやれるかも、という過信にかわります。心の底から辞めたいとも思ってなかったので、最初のスリップでは、簡単にギャンブルに手を出します。
しかも、本当にくだらない理由。
私はギャンブルをやめるようになってから、小遣いを毎日500円ずつ事務員さんから貰うという一日を送りました。
当時タバコを吸っていたのですが、私はセブンスターを吸ってて、ギャンブルを辞めるのを機会に、わかばに変えました。
単純にお金をなるべく使わないためです。
だけど、ずっとセブンスターを吸ってきた私にとってはやはり不味いタバコなんです。
いつかまたセブンスター吸いたいなあ、と常に思っていて、ある時ふっと降りてくるのです。
1パチなら2千円か3千円持ってれば打てるし、タバコ代くらいは勝てるんじゃないか?
額も少ないし、スリップにはならないんじゃないのかな。
スリップだとしても言わなきゃいいしね。
簡単にこんな考え方になります。
まさにビッグブックに出てくるアルコール依存症の方と同じような考え方。
少しくらいなら、自分の害にはならないだろう、という考え方の罠にハマってしまいました。
あまりにもあっさりスリップします。
しかもその日はミーティングがある日です。
ミーティングにいくどころか、ギャンブルをしてしまっていたのです。
その日はたまたま1万円ほど勝ちました。
セブンスターを買い、次の日も、少しなら大丈夫と自分に言い聞かせ、また勝ちました。
1パチならずっと勝てるんじゃないのかな🤔
真剣に思い、1パチばかり毎日のように打ちました。
確かに毎日勝ちました。500円だろうが千円だろうが勝っている時にやめていたので、なんだ、俺大丈夫じゃん。
大袈裟だなあと思ってしまいます。
そのあとは多くを語らなくてもいいですよね。
スリップしてからわずかひと月足らずで、また友達や会社にたくさんの借金を作りました。
どうにもならなくなって、元妻に話をしに行きました。
スリップしたことは残念だけど、早く言ってくれて助かった。
他の人への借金については考えるから。
と言ってくれたので、出してくれると思いました。
2日経っても3日経っても振り込まれず。
友達から催促もあったので、元妻に連絡を取ると、お金を出すとは言ってない、考えると言っただけ。
あなたが小遣いから少しずつ返してください。
私たちが作った借金では無いから、責任は取れません。
と言われました。
ごくごく当然の話ですが、私はブチ切れます。
考えるって言ったんだから出せよ!
それからまた元妻とは連絡が途絶えます。
私は仕方なく、会社と友達に頭を下げ、少しずつ返済をしていくことになります。
友達はかなりブツブツ言って、お前にはもう貸さないよ、と言われ、話しかけてくるな、とも言われました。
とうぜんのことですよね。
そうやって、また1人友達を失いました。
私は元妻を恨みました。本当に自分勝手でしたよね。
そこで、やっとこさまた自助グループに行き、色んなアドバイスを受けることになるのです。
今日はここまでにします。
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