ギャンブル依存症 ベムの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

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初めてのバースデー ベロの物語㉘

自助グループや病院に通いだしてから、1年、途中スリップしましたが、いよいよ転勤の時期がきました。

 
こういう時にギャンブラーはやはり、自助グループから離れることがよくあるのですが、私の場合、周年記念で、転勤先の仲間に挨拶出来たこと、連絡先を交換してたこと、あと、繋がり続けようという行動があったことで、転勤先の自助グループにスムーズに行くことが出来ました。
 
 
しかも有難いことに、仲間が近くに迎えに来てくれ、会場までおくってくれ、あとは電車でどう行くとか、色々教えたくれたのです。
 
 
本当に不安しかなかったのに、有難かったし、その助けてくれた仲間が結果的に私の最初のスポンサーになってくれました。
 
スポンサーシップを始めるのはまだ暫く先なのですが、次の土地へ行っても直ぐに自助グループに繋がり、仲間と関われるというのは簡単ではないことは、転勤族の仲間はよくお分かりでしょう。
 
 
そこにいた仲間も暖かい方ばかりで、ここでたくさんの仲間と、周年記念に沢山行くことが出来るようになりました。
 
 
この地域にももちろん10年越えの所謂重鎮さんがいて、その方を中心に、と言ってもキャラが濃いだけで、本当に暖かい素晴らしい仲間なのですが、楽しくミーティングに通えていました。
 
そして、電車が1時間に1本しかない田舎だったのですが、諦めることなく、そして、仲間が時々私の寮近くまで送ってくれたので、本当に助かりました。感謝感謝です。
 
後は、病院の方も紹介状書いて頂き、転院もスムーズにでき、月一度、通うことが出来ました。
 
ここでも、職場の所長さんの理解があったことが大きかったと思います。
 
月に1回の病院の日は、15時に仕事を上がって、病院に行かなければ受診出来なかったので、早退させてもらったり、途中からは自助グループに行く回数を増やしたので、会社の車両を貸してくれ、燃料だけ入れてくれれば好きに使っていいと仰って下さったので、助かりました。
 
 
私は上司に本当に恵まれていると思います。それはずっといまもなのですが。
 
そんなこんなで、仲間に助けられながら、何とか初めてのバースデー🎂がきました。自助グループに通いだしてから、1年半ちょっとでした。
 
決して順調ではなかったし、家族には、病気の理解はあり、勉強や、家族の自助グループ通いなどしてくれていたものの、私は完全に抑えられていたので、やはり我慢の1年だったように思います。
 
ギャンブルの衝動もそうですが、人として認められないストレスとも戦っていたように思います。
 
ですから、だんだん行きづらく、行き詰まって来るのです。
 
ちょうどバースデーの日に、周年記念があって、そこの会場で、スピーカーをさせてもらい、今日がまさにバースデーです、と伝えたら、会場から凄い大きな拍手を貰い、嬉しかったのを覚えています。
 
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