ギャンブル依存症 ベムの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

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当然の解雇と懲りない自分 ベロの物語⑨

パチンコ屋でのほほんと悪事を働き、のうのうと夜は飲み屋にハマって、自分勝手に生きてきましたが、やはり終わりは来ます。

 

出玉の異常さに気づいた店側が、台を撤去し始めました。
台自体が無くなれば、ゴトもできなくなるので、また新たな台に違法プログラムを入れなければなりません。
 
自分自身のリスクと、ゴト師側の安全も考え、暫くは辞めておこうという結論に至りました。
 
小遣いもそこで途切れてしまいます。
 
ちょうどその頃、真相は分かりませんが、素行も良くなかったし、度々休むこともあって、私を解雇するか検討されていたそうです。後になって聞いた話ですが。きちんと仕事してるつもりでも、見る人は見てます。
 
そして、その時の店長が引き取ってくれることになり、店長と一緒に転勤することになりました。
 
しかし、堕落した生活、仕事に対する感覚は狂ったままなので、今度はコインを仲のいいお客さんに、あげて、勝ったら飯を奢ってもらうというようなことを始めました。
 
客の少ない店ということもあるし、これはさすがに直ぐにバレました。イン枚数とアウト枚数違うので、すぐバレますよね、なんにも考えてませんでした。
 
統括部長に呼ばれ、若くて、将来の希望もあるだろうから、警察にはつき出さず、自己都合の退職という形をとっていただきました。
 
 
 
今となってはここが、捕まって、治療に繋がるはじめての大事な所と分かるのですが、当時は何故バレてしまったのかとか、コインをあげたお客さんから、相当文句言われたりして、自暴自棄になっていました。
 
 
それで、直ぐにパチンコ屋の寮を出ていかなければならなかったのですが、そこで今の仕事の土台となる、建設業の親方に拾われて、親方の家の離れに住ませてもらい、働かせてもらうことになるのです。
 
今思うと、助けてくれた人が本当に沢山いて、ただ、自分がやはりありがたさがわからず、当事者には厳しい対応も必要とはもちろん当時は分からなかったので、ただ甘やかせてくれる人に流されたのだ思います。
 
 
でも当時のたくさんの出来事があったから、今の俺がいるので、要らない過去はないのかなと思います。
 
全く違う職種で、初めはかなりきつく、もちろんお金も無かったので、入ってから3ヶ月位はパチンコ屋にも行かず、飲み屋にもいかず、普通に充実した毎日を送れていました。
 
 
しかしながら、横綱級のギャンブラーは、長くやめ続けることは出来なかったのです。
 
仕事に慣れ出すと、やはり飲み屋に行き始め、お金もいるようになり、またギャンブルをして、増やして、たくさん飲み屋に行こうという考え方になるのです。
 
普通は、悪いこともし、パチンコ屋、パチンコは懲り懲りだとなるのでしょうが、やはり善悪の区別がつかないのでしょう、働いていた系列には出入り禁止で行けないけど、他の店には堂々と行くようになったのです。
 
 
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