白黒を付けない
今日は午前中、というか朝一番で仕事は終わったものの、高速代を浮かして、少しでも家計の足しにしようと考えましたが、2車線がない田舎道、思うようには進みません。
余裕で到着のはずがギリギリに、しかも駐車場もなくて、みんなが置いてある敷地内の路上駐車、という感じになってしまい、焦ってブログも書けませんでした。
最近はいつもお昼にアップしてるのですが、今日は夕方か夜でしょうね。
こんにちは、ベロです。
アンガーマネジメントを今少しずつ検索してて、本とかも買って読んでみようとしてるところです。
その中であー、これが1番難しいな、と思ったのがあったので、今日のタイトルにしました。
私は白か黒か、そこで苦しむことが多いです。というか、ほとんどがその思考なので、遊びがない人といつも言われています。
それは依存症になる前からだと思います。
正義感が強い、と言われたこともありましたが、曲がったことが嫌い、許せない、というのはずっと幼い頃からでした。
それは依存症になってからも変わりはないのですが、一つだけ違うところ。
それは「自分のことは棚に上げて」なのです。
他の人には本当に厳しくて、俺に着いてこれないやつはダメだ、なんて仕事場ではカッコつけていましたが、ギャンブルをはじめて、依存症になってからは、自分のことはいいのです。
何よりもギャンブルに関すること、時間、金銭面、何もかもギャンブルが最優先になるので、犯罪とかそういったものを含む善悪の区別も自分に関しては緩くなりました。
実際もう時効だから、ということもいくつかしたこともあります。
しかし自分以外の人のことについてはまた別です。
いやむしろ人に対しては厳しくなっていたのかも知れません。
人付き合いもそうですね。いい人か悪い人か。
好きな人か嫌いな人か。自分の味方か敵か。
中間の人は私の中ではほとんど居ませんでした。
今もそういった考え方なんだと思います。
私や妻、仲間を傷つけたりする人は自分の中ではもうダメな人、嫌いな人、そのひとつの行動が全てではないのに、一部を見て、その人とはもう付き合いはやめよう、くらいならいいけど、もう怒りや憎しみまで出てくることもよくあります。
人は全てが全て正しいというわけでもなく、いい人というわけでもなく、ある一部分は自分とは合わない、とかそういった考え方をすることが出来ません。未だに。
グレーゾーンを作ることが出来ないので、生きている中で、敵か味方か、ということで人を判断することが普通になっています。
回復を目指して、ステップを踏んだり、仲間とのミーティングを重ねることによって、本当に人は色んな考えもあり、回復にもスピードも、回復の仕方も、やり方も、ひとつとして全く同じ人というのは居ないんだなあ、というのは本当に最近やっと認めることができるようにはなっていますが、それもまだまだですね。
私には私なりの回復の理想の姿みたいのがあって、その道に沿っているほど回復者と思うし、その理想から外れるほど回復者ではない、という自分勝手な人の評価もしてしまう自分が居ます。
そして、自分自身の判断が1番甘かったりします。
人にはこうしなきゃ、と言いながらも自分は出来てない、ということもよくあります。
自分に甘く、人に厳しいというのは本当に変えていかなきゃ行けないところです。
でも本当に白か黒かという思考のため、他の人より怒りや恨みが多分多いと思います。
結果的に自分自身を苦しめてることが沢山あるし、その怒りで自分が嫌になることもあるし、すごく疲れることもあります。
回復を目指し始めた9年前の自分と比べると、グレーゾーンを認めることは少しずつですができるようにはなっています。
でも他の人からすると、まだ白黒思考は色濃く残っていると思うし、特に人間関係については、人のことを自分勝手に決めつけて、付き合う範囲を狭めてしまうのは損だし、そもそも人を良い悪いと判断できるほどいい人間でもないし、人のことを決めつけることによって、最終的には自分が苦しむことになるので、今からも引き続き、少しずつなんですが、白黒だけでなく、決めつけない、決めてしまわない自分で居られるよう、判断をしない努力、というのをしないと行けませんね。
ずっと人を自分のモノサシでいわば取捨選択をしていたわけで、そこが簡単に変わるとは思ってません。
だけどやはり最近特に人に囚われたり、人を決めつけたりして、自分も去ることながら、人を傷つけることも多くなっているような気がするので、変えられる自分は、小さな1歩でも歩みを進めていきたいなと考えます。
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