失踪、パチ屋で働く ベロの物語⑦
アルバイトもやめて、本来なら勉学に勤しまなければ行けないところだけど、ギャンブルにハマって、借金もあったせいで、表面上の生活は、普通の浪人生みたいでしたが、中身は毎日お金のことを心配するプータローでした。
最後の手段ではないけど、大学時代にお世話になっていた親戚のおじさんに、借金をしようと連絡しましたが、私の兄に連絡し、お金を貸してあげていいか?ということを尋ねたみたいで、兄は貸さないでくれと言ってくれたらしいです。
そこで最後の頼みの綱も無くなり、どうしようも無くなり、住み込みで働き、借金返済をしながら勉強しようという考え方になるのです。
俺はバカ息子だから、生きている価値がない、探さないでくださいと、親に置き手紙をして、同じ県内のかなり離れたパチンコ屋さんに面接をしに行きました。
店員さんは、今は大学卒とか、条件厳しいということを聞いたことありますが、当時は本当にいわく付きの怪しい人や、夜逃げしてきたような夫婦とか、本当に私のような失踪した独身者みたいな人達の集まりでした。影のある人達の集まりだったのです。
面接をして、直ぐに寮に入れて、夕食もいただき、次の日から働くことになったのです。
ギャンブルで借金を作ったのに、パチンコ屋で働こうというのが、おかしな考え方だと思うのですが、パチンコ屋で働けば、仕組みもわかり、また、本当に勝てないなら、勝てない仕組みも分かるから、止めることも出来ると思ったのです。
とそんなことを書いてますが、当時は、ただ直ぐに住めて、働ける場所、そして実家から離れたところに住みたいと思っただけだと思います。
そして実際働きだします、今は分かりませんが、当時は箱も大きく、出玉も多かったようにおもいます。
とにかく箱を交換するのが大変でした、後3交替制だから、不規則だし、その割には給料も安く、過酷な労働でした。
そしてこの頃に腰も悪くなってしまいました。立ち仕事と、重いものを沢山持ったのが理由ではと思います。
さてギャンブルはどうなったかと言うと、結果的には全く変わらず。借金も増えはしないものの、減りもせずでした。
店の仕組みもすこしわかりましたが、遠隔というものも特になく、ただ設定はやはりあまり良くないんだなあというのは実感でした。
そしてイベントがある事に部長さんがこまめに釘を打っていたので、以外とマメに台の管理をしているんだなあとか、思って、傍から見ていました。
が、勝てない要素満載というわけでもなく、負けしかないという絶望的な面を見た訳でもないので、ただ好きなものに囲まれて働いているという感覚しかありませんでした。
そして、勉強などするわけもなく、次の受験もせず、ただパチンコ屋で働いて、そのお金をパチンコに使い、最低限借金を返済するという生活を1年位は続けました。
そして、まただんだんと生活が苦しくなってきて、しては行けないことをしてしまうのでした。
ブログ応援して下さい!クリックお願いします!